キャパの十字架(その7)

(承前)


1986年、沢木はキャパの伝記翻訳の依頼を受ける。
自分の英語力に自信はなかったが、日本の誰よりも先にキャパの伝記を読んでみたくて引き受けた。同時にキャパの初の決定版写真集の翻訳もまかされ、キャパの写真を細密に見ながら翻訳をすすめた。


沢木の翻訳は、『キャパ その青春』『キャパ その死』の2分冊の伝記と、『ロバート・キャパ写真集 フォトグラフス』に結実し、1988年に相ついで出版された。


『ちょっとピンぼけ』は第二次世界大戦中のわずかな期間の取材記録だが、キャパの伝記を翻訳を通して、沢木は第二次大戦以前のキャパの人生の軌跡を知り、キャパの前半生の陰影を理解するようになった。


ユダヤハンガリー人に生まれたキャパは、過激な政治活動に関与して17歳のときに逮捕される。ハンガリーで将来の希望がなくなったキャパは、ベルリンで学業をつづけるが、両親からの仕送りがとだえ、学生をやめてカメラマンを目指すことにした。


トロツキーの演説を撮影してカメラマンとしてのスタートを切ったキャパだったが、ヒトラーが台頭したドイツは、ユダヤ人の彼にとって希望のない国に変わっていった。
いったんハンガリーに帰ったあとパリに向かったキャパは、セーヌ河の左岸で貧しい日々を送ることになる。


貧乏ぐらしのなかで、キャパはゲルダ・タローという女性と知りあい、劇的に人生を変えていく。
知りあって1年後に同棲するようになり、キャパは3歳年上のゲルダからさまざまな影響を受けて写真家としての方向性を見定めていった。


ゲルダが若き写真家のマネージメントを引き受けてからしばらくして、2人は写真を高く売るアイデアを思いつく。それは、無名のアンドレフリードマン(キャパの本名)が撮った写真を、有名アメリカ人カメラマンの「ロバート・キャパ」氏の作品としてフォト・エージェンシーに買い取ってもらうことだ。


この作戦はうまくいき、それまでよりも高い金額で買い取ってもらうことができた。いつまでも架空の人物を押しとおすことはできなかったが、キャパとアンドレフリードマンが同じ人物とばれてしまったあとも、彼は「ロバート・キャパ」を名乗りつづけ、この名前が偉大なる写真家として歴史に刻まれることになる。


(その8へ続く)