『国をつくるという仕事』出版記念講演会&サイン会に行ってきました。


丸善丸の内本店3階の日経セミナールームで講演を聴くのは2回目です。


はじめてこの会場で聴いた講演会は、田坂広志さんの『使える弁証法』出版記念講演会ですので、もう3年半前。松山真之助さんと偶然となりの席になり、私の手作り名刺を差し上げたことを思いだします。


当時の私の肩書き「かけだし書評家」を見た松山さんが、
  「もう、“かけだし”を取ってもいいんじゃないですか」
と言っていただいたのを機に「ブック・レビュアー」を名乗るようになったのも、この会場のおかげです。


『国をつくるという仕事』著者の西水美恵子さんは、世界銀行を辞めたあと、2007年からシンクタンク・ソフィアバンクのパートナーになっておられますが、ソフィアバンクの代表が田坂広志さんですし、田坂さんを深く敬愛する松山真之助さんもソフィアバンクのパートナー。


今日、西水さんの講演を聴講することになったのも、田坂さん、松山さんとのご縁の延長に違いありません。


壇上に立った西水さんは、
「今日は、貧困について、少しお話しをさせていただきます」
と、静かに話しはじめました。

決して大きな声を出したり、機関銃のようにまくし立てるような話かたではありません。
しかし、貧困と闘うという気迫を体中から発しておられ、聞きもらすまいとする会場に響いていきます。


私は、はじめメモを取っていましたが、途中でやめました。頭で聴く講演ではなく、心で聴く講演と思ったからです。


全身を耳にして聴いた西水さんからは、覚悟の決まった人に特有の、まるでふところに懐剣を忍ばせているような雰囲気が漂ってきました。


終了後、サイン会に移ります。


自分の順番になったとき、ブック・レビュアーの名刺を差しだし、「書評を書きましたので、よろしかったら読んでください」とお伝えしました。


サインしていただきながら、「私も5歳まで電気のない生活をしていましたので、身につまされて読ませていただきました」と言ったときです。
西水さんの手が止まり、顔を挙げて「あの、北海道の田舎のことを書いた……」とおっしゃいました。


「そうです。母の名は美恵子といいます」と私。
「ブログ読みました。私も北海道ですから」と西水さん。
「読んでいて、わたし、泣きました」と続ける西水さん。
立ち上がり、両手で私の手を握ってくださいました。
私も西水さんの手を握りかえしながら、「私も泣きました」とお答えしました。


きっとネット検索で見つけられたのでしょう。
西水さんが私の書評を読み、泣いてくださったのは、貧乏と闘いながら子どもを育てた母の祈りに共感していただいたからだと思います。


きっと西水さんは途上国の草の根を歩きまわりながら、こうやってアマ(母)たちと共に泣き、だからこそ悪い政治と刺し違えんばかりの気迫で一国の指導者と対峙してきたのでしょう。


忘れられない講演会となりました。