奪われた記憶――記憶と忘却への旅


著者:ジョナサン・コット/著 鈴木晶/訳
出版社:求龍堂  2007年10月刊  \2,730(税込)  333P


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躁状態のまったくない重度のうつ病をわずらい、自殺願望に苦しむ著者は、病院でECTという電気ショック療法を受けました。ECTとはヘッドホンのような器具で約200ボルトの電流を患者の脳の前頭葉に送る治療法です。
コット氏は36回の電気ショック療法を受けたことによって、15年間の記憶を失ってしまうという予想もしない事態に陥りました。


よく知っているはずの友人が誰か分からなくなり、IQも目に見えて低下し、学習力も損なわれました。何冊も本を書いたことを思い出せないばかりか、使いたい言葉を見つけるのに苦労し、本を読んでも内容をすぐ忘れます。


記憶を失ったコット氏は、その間の人生そのものが失われたことに愕然としました。


絶望から立ち直ったコット氏は、記憶障害に苦しみながら、記憶とは何か、忘れるとは何かという問題の究明を開始しました。
かつて敏腕インタビュアーとして活躍していた経験がどの程度よみがえったかは分かりませんが、神経関係の学者や宗教家、作家、女優など多彩な人々と「記憶」をキーワードにした対話を続けます。


電気ショック療法、記憶障害という重いエピソードではじまった本書は、著者がインタビューを開始するあたりから、人生の意味を探求する求道の物語に変わっていきました。


人生にとって記憶とは何なのか。忘れるとは何なのか。
古代ギリシアの時代から伝承されている古典的記憶術があるかと思えば、トラウマとなっている記憶を忘れる方法が研究されている。


記憶について探求するインタビューの数々を読んでいると、刺激を受けた自分の脳の片隅から、いままで読んだ本の内容や、自分の人生の記憶がよみがえってきます。


たとえば、アマツハイマー氏によって発見された「生きる能力を少しずつ失っていく病気」の考察を読んで、最近読んだ『ちいさなちいさな王様』を思い出しました。(1月26日の卒読ノート参照)


アルツハイマー病の進行と、子どもの成長を比べると、能力の獲得と喪失の順序は、鏡に映したように逆の関係になっているそうです。
『ちいさなちいさな王様』の国でも、人は生まれたときが一番大きく、年をとればとるほど小さくなっていきます。この物語の寓意のひとつは、アルツハイマー病の意味を考えることなのかもしれません。


また、アフリカの口碑伝承者グリオの内容を読み、四半世紀前にベストセラーになった『ルーツ』を思い出しました。
アフリカから連れてこられた黒人の子孫は、自分自身の先祖(ルーツ)をたずねてアフリカを訪れ、最初の主人公のクンタ・キンテの名前が伝承物語に出てくることを知りました。
自分の家系に伝承されてきた内容と、アフリカで伝承されてきた内容が一致したことで、彼は自身の存在が深く大地に根ざしている感覚を得ます。


何より、生きていることの根元を考えさせられるのが、「前世の記憶」です。かつて日本人に親しみのあった「輪廻転生」の考え方は、物資主義や西洋的価値観=人生は一度きりというキリスト教的考え方の影響を受け、信じる人が少なくなったような気がします。


しかし、著者のコット氏によれば、ギリシア哲学者にも輪廻転生の考え方は受け入れられており、驚いたことにキリスト教でさえ1545年まで受け入れられていたとのことです。


自分の心と考えとは、どこにあるのか。
心をほんとうに分解してみると、「これが私の心です」と言えるものは、実際にはない、というチベット仏教の導師のことばは、「自分」の本質とは何か、ということを考えさせてくれます。


医学的・肉体的・物理的アプローチや、哲学的・精神的・神秘思想的アプローチを尽くしたコット氏は、最後に、自分と同じように突然の記憶障害に苦しみ、自分よりも強い運動障害を持つ人物に会いにいきます。


著名な小説家、詩人、エッセイストのフロイド・スクルートは、飛行機の機内で感染したウィルスによって脳を損傷され、記憶障害や認知能力の低下に苦しんでいます。


二人の対話の最後にスクルート氏は「どんな質問をされたのか、ひとつも覚えていません」と明かし、それでも、自分と同じ経験をした人が目の前にいるだけで、孤独感を和らげてくれることを告げました。


「記憶」を探求したインタビューの果てに、コット氏は次のように述べています。


  おそらくいつの日か、私は自分の記憶にチャンネルを合わせる
  方法を見つけるだろう。目が覚めたら、すべてを思い出すだろう。