京都花街の経営学


著者:西尾 久美子  出版社:東洋経済新報社  2007年9月刊  \1,680(税込)  249P


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芸者さん、舞子さんの仕事内容と、350年も続いている京都花街のしくみを経営学的視点でひもとくという、珍しい視点で書かれた本です。


「花街」というと、何を連想するでしょうか。
貧しい家庭の娘が人減らしのために花街に売られて来る、という暗いイメージを持っておられる方も多いと思います。私もそうでした。
たしかに、幼い頃から置屋で下働きをさせられた、という人も戦前は多かったようです。しかし、経済的に豊かになった日本で、そういう非人道的な人集めが続いているはずはありません。


現在は、義務教育を終えていないと花街に入ることができませんし、華やかな世界にあこがれて京都以外の地域から入ってくる人もたくさんいます。


本書ではじめて知りましたが、京都では芸者さんのことを芸妓(げいこ)さんとよび、一人前の芸妓をめざす修行中の若い女性を舞妓(まいこ)さんと呼んでいます。舞妓さんは主に踊りを披露しながら、先輩である芸妓さんがお座敷を盛り上げる様子を現場で学び、「座持ち」のするもてなしのプロをめざします。
舞妓さんは見習い修行中の身分ですが、一人前の芸妓さんになるまでに日本舞踊をはじめとする様々な芸事を学ばねばならず、高額な衣装も用意しなければなりません。


修行中の舞妓さんを育てるために身元を引き受けてくれるのが「置屋」、置屋から派遣される舞妓さんの舞台であるお座敷をかけるのが「お茶屋」です。


ここで著者が経済的視点で分析するところによると、京都の花街は、置屋お茶屋を中心に、さまざまな出入り業者が分業する構造になっているのが特長です。料理もお茶屋で作らずに、料理屋か仕出し屋から取ります。
東京では逆に、「待合」という小さな座敷を貸す業態がすたれていって、建物も立派でお座敷も広い大きな料亭がメインとなりました。もちろん料亭には専属の板前がいて、料理も自前です。
料亭が高級化した結果、花街そのものが高級化してしまい、特別な人が特別な機会に利用する場となってしまいました。かつて東京を代表する花街として賑わいをみせた柳橋も、芸者さんを呼んでくれる料亭が姿を消すと同時に、花街そのものが無くなってしまいました。


垂直統合が必ずしも良いとは限らない、という実例です。


本書では、この他、「一見さんお断り」を会員制ビジネスとして分析したり、今でも続いている掛け払いを「お茶屋が顧客について与信する能力をもつことができる制度」と経済学者として評価しています。


中でも「ミッキーとキティと舞妓はん」というコラムの分析には感心し、思わず「秀逸!」と大きなポストイットを貼ってしまいました。


舞妓はんは京都のイメージ・キャラクターそのものですので、「ミッキーマウス」に例えられることがあります。ミッキーも舞妓さんも、単に「かわいい」というだけでなく、顧客のニーズにあわせて微妙に変化してきた、という共通点があります。


かたや日本生まれの「キティちゃん」も「かわいい」キャラとして世界60ヵ国以上で販売されています。キティがミッキーマウスと大きく違うのは、「ご当地キティ」があることです。ミッキーはディズニーランドに行かないと会えませんが、キティはいろんな観光地で会うことができます。


著者の西尾さんは、ここで、
  「実は舞妓さんというキャラは、
   ミッキーとキティの両方の特長を持っている」
と独自の分析を披露します。
舞妓さんは、京都に行ったらぜひ会ってみたいという地域限定的な特性もあり、東京でもフランスでもアメリカでも、顧客の要望があればどこへでも出張するという地域を越えたキャラでもあるのです。


京都で生まれ育った著者が、実際にお座敷に通い、京言葉でインタビュー調査をしてまとめた博士論文が本書の下敷きになっています。
閉鎖的に見える世界も、ビジネスの視点で見ると、こんなに面白い。ちょっとした「目からウロコ」をお楽しみください。