著者:橘 玲 出版社:文藝春秋 2007年11月刊 \1,650(税込) 281P
欲望の渦巻く街、新宿歌舞伎町裏の雑居ビルの一室。悪玖夢三太郎(あくむみたろう)博士の研究所がありました。
70年間かけてあらゆる学問の精髄を極めた悪玖夢博士は、その学識を総動員して、民衆救済のために無料相談を開始しました。
サラ金の借金返済に困ったフリーター、八方ふさがりの暴力団員、人間関係に行き詰まった子ども、マルチ商法の商品を売りつけようとするセールスマン、等々。
日の当たる道を歩けなくなった人々が手にしているのは、
「相談無料。地獄を見たら悪玖夢へ」
と書いたチラシです。
相談を受けた悪玖夢博士は、世界第一級の理論を駆使して問題を見極め、凡人の思いもよらない処方箋を渡してくれます。
脳天気な博士の助手が登場し、処方箋の通り依頼人を助けてくれるはずが、事態は悪化する一方で……。
おもしろい! この設定!
本書は、笑いながら背筋が寒くなるジャンルの小説です。
マンガで言うなら、青木ゆうじの『ナニワ金融道』のえげつなさと藤子不二雄Aの『笑ゥせぇるすまん』のブラックユーモアを足して2で割ったようなお話です。
かといって、決して二番煎じではなく、喪黒福造ならぬ悪玖夢博士が相談者に示す経済理論が何より秀逸です。
たとえば、借金返済の相談にきた青年は、「行動経済学」の説明を受けながら、「君にあげよう」と千円札を出され、すぐ「やっぱり君にはやらん」と引っ込められます。少しして、持っている現金を出すように言われ最後の千円札を出したところ、博士が千円札をズボンのポケットに入れてしまいました。
「てめえ、このジジイ、ざけんじゃねえぞ!」と怒った青年に向かい、博士は「素晴らしい!」と褒めました。博士の説明によると、現代経済学の最先端である行動経済学の本質を、青年がわずかな時間に会得したのが素晴らしいことなのです。
博士が要約してくれたのは、
「得するときの嬉しさよりも損するときの悔しさを
はるかに大きく感じる」
ということでした。
――行動経済学も、こんなふうに解説してくれると、簡単そうに感じるから不思議です。
つづく第二講では「囚人のジレンマ」が、第三講では「ネットワーク経済学」が、第四講では「社会心理学」、特に「コールドリーディング」の手法をネタに相談者が泥沼にはまっていきます。
最後の第五講では、第一講から第四講までの登場人物が再登場して不思議なつながりがあらわれます。「ゲーデルの不完全性定理」を下敷きにしながら、全ての伏線の意味が明かされて、からまっていた糸がほどけました。よくできたドラマの最終回のようです。
これは、いい作家を見つけました。
さて、今回の本と著者に関連して、追加情報を2つお知らせします。