沖で待つ


著者:絲山 秋子  出版社:文芸春秋  2006年2月刊  \1,000(税込)  108P


沖で待つ


芥川賞受賞作を読んだのは久しぶりです。
調べてみると、1977年受賞の三田誠広著『僕って何』を読んで以来でした。
『僕って何』は、学生運動が盛んな時代を舞台にして、優柔不断な主人公が、いったいボクって何者なんだろう、と戸惑う様子を描いた小編です。最後に主人公か何か決意したり変わったりすることもない内容に、
  「文学的に何が優れているんだか分かんないけど、
   芥川賞受賞作っていうのは、面白くないなぁ」
と不満を抱いたことを覚えています。(余談ですが、その後、『死のアポリア』等の三田誠広氏の著作を熟読するようになりました)


久しぶりに読んだ芥川賞作品(本書)も中編(表題作含め2編を収録)で、やはり、もやもやした主人公の心境――何か吹っ切れたり解決したりすることのない胸の内――を吐露した内容でした。
芥川賞というのは、純文学というのは、きっとそういうものなのでしょう。明文化されているわけではないが、人間の真実が描けているかどうかが芥川賞の選考基準、と聞いたことがあります。


絲山氏は芥川賞受賞以前も、多くの賞の候補者になったり賞を獲得したりしています。
その理由を『福田和也の「文章教室」』のなかで、福田氏が次のように分析していました。
  それは第一に、本人も言っているように高い技術を持っているからです。
  しかも、それがわかりやすい形で出ている。小説というジャンルの特性
  を生かして、小説でしか表現できない悲しさや想念を書こう、作り出そ
  うという野心がありありとわかるからです。それが職業作家たちからな
  る、選考委員たちを感動させるのです。


本書の帯には「仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く表題作」とあり、女性総合職が主人公の小説を女性総合職経験者が描いたことが強調されています。
男女雇用機会均等法が施行されて20年。女性総合職は珍しくなくなりました。しかし、女性社員の処遇が全く男性社員と同じになったわけではなく、ひとり一人が仕事とプライベートのバランスを模索しながら働いています。
本書の2作品には、どちらも女性総合職が登場し、仕事に真剣に取り組んだり、酒を飲んで日頃の不満をぶちまけたり、男性同様に地方支店に赴任したりしています。私も女性総合職といっしょに仕事をすることもありますが、あまりハメを外したり感情的になっている姿を見たことがありません。でも、きっと、これが、総合職として仕事に取り組む女性の「真実」なのでしょう。
それを知ったからといって、何かが解決するわけでもないのですが。


本筋と関係ないところで、ちょっと不自然に感じたのは、主人公たちの会話に出てくる歴史や文学の知識の深さです。
主人公が会議中に「こんな下らない会議やってられません!」と怒鳴って出ていってしまったことを、やはり総合職の後輩は「国連脱退の松岡洋右みたいでした、カッコよかったなあ」と褒め、主人公は「いつの時代だよ、42対1かよ」と合いの手を入れました。
また、後輩がカイコを愛おしく思ってしまうことを打ち明けたとき、「虫めづる姫君か」と主人公がツッコミました。
きっと著者は、主人公がお受験を勝ち抜いてきたことを表現したかったのでしょう。しかし、酒を飲みながらの会話に「国連脱退の松岡洋右」や源氏物語の「虫めづる姫」なんて出てくるものでしょうか。「42対1」なんて初めて聞きました。私の勉強不足とも思えないんですけどねえ。