副題:ジェンダー平等の罠
著者:上野千鶴子 出版社:岩波書店 2006年2月刊 \2,520(税込) 277P
フェミニズムの考え方を私なりに整理すると、
ひとつは、
「女も男のように強くなる。肉体労働もすれば、軍隊に入って戦場にもいく」
もうひとつは、
「女が男のように強くなる必要はない。弱いままで尊重されるべき」
と大きく二つに分けられます。
上野千鶴子氏は、後者の立場を取る論客です。
昔むかし、アグネス論争(女性タレントが職場に子どもを連れてくることの是非についての議論)が起きた時に、上野氏は林真理子氏を向こうに回しました。
たしか、林氏が「仕事の場に家庭を持ち込むな」と言ったことに対し、
「仕事をするなら身軽にしろ、と言うのは『男になれ』というのと同じことだ」
と反論し、当のアグネスが困っている様子が週刊誌ネタになっていました。
本書は、著者の考える「弱者が弱者のままで、尊重されることを求める思想」についての論考をまとめたものです。
著者が社会の欺瞞に向ける目は厳しく、たとえば、「人権」という誰もが否定しにくいことがらでも、一筋縄では受け入れません。
著者が歴史的に考察したところでは、フランス革命で「人権」という考え方が発明されたとき、人権を持つ主体は「市民」でした。
「市民」というのは、労働者も農民も排除する概念で、女性も子どもも含まれていませんでした。ドイツの文化を認めないフランスにとって、当初の「市民」にはドイツ人も含まれません。
その後、少しずつ「人」の範囲は拡大してきましたが、こういう歴史を抱えた「人権」を、著者は手放しで礼賛することはできません。
シンポジウムで人権を議論したことを振り返り、著者はフランス人に対して次のように言うべきだったと省察しました。
「フランスの・男性の・市民としての権利は、少しも普遍的ではない。
わたしたちは市民権を求めるが、それはあなたがたが歴史的に独占して
きたものと、同じではない」
著者のフェミニズムは「やられたらやりかえせ」という道を採りません。また、「命より大事な価値がある」というヒロイズム――「男らしい」考え方が大嫌いです。
戦争や暴力に曝されたとき、反撃する力の残っている者は、テロリストとなって自分の身を犠牲にするというヒロイズムに走るかもしれません。しかし、そのテロリズムによる再反撃を受けて更なる犠牲になるのは、泣く事と祈ることしかできない無力な人たち――老人、女、子ども――です。
本書で「弱者の立場から発想する思想」に一区切りつけた著者は、次の主題である「ケア」の問題にシフトすることを「あとがき」で宣言しています。
高齢者の生活を支援するとは「よい死に方」を考えることではなく、
「よりよい生」を考えること。
「生き延びる」ための知恵と工夫、そのための具体的で実践的な手だてを
考え尽くしたい。
社会学はそのための「此岸の思想」のツールとしてこそ、力を持つだろう。
と。