三菱とは何か


副題:法人資本主義の終焉と「三菱」の行方
2005年1月刊  著者:奥村 宏  出版社:太田出版  \1,764(税込)  302P


三菱とは何か―法人資本主義の終焉と「三菱」の行方


本書の勇ましいタイトルを見て、「三菱に根ざす不祥事の体質を徹底的にあばいた本」であることを期待して手に取りました。


三菱自動車の欠陥車事件が世間の耳目を集めて以来、“三菱”が頭につく不祥事の報道が目につきます。三菱には、何か本質的に反社会的な体質でもあるのだろうか? あるとすれば、それは何? と読み進みました。
私の期待が大きすぎたのでしょうか。残念ながら、三菱が「悪の帝国」というような決定的な分析を読むことができませんでした。


確かに、三菱は歴史的に多くの批判を浴びてきました。特に第二次大戦前は、財閥企業は暴利をむさぼっていると軍部の若手将校から目の敵にされたりもしました。
本書にも、戦後の三菱グループを批判して、
  ・メインバンクが取引先企業に役員を派遣するのは『優越的地位の濫用』
   であり、独占禁止法で禁止されている
  ・総合商社が商社金融、オルガナイザー機能、情報機能などの新しい機能
   を果たし、一種の投資会社になるにしたがって批判も高まっていく
  ・企業批判に対して、社会貢献として寄付をするということが通例になっ
   ている。しかし、果たして「カネで人の心を買う」ことが良いことなのか
のような内容が書かれています。


しかし、著者が指摘する個々の内容はわかるものの、タイトルに相応するような三菱グループの本質をえぐるような批判には思えません。「それが『三菱を解体してしまえ』というほど許せないことなの?」と問いかけたくなってしまいます。
むしろ、朝鮮戦争の特需に対して三菱が慎重であった、という意外な事実を本書で発見したりすると、“悪の権化”というイメージが薄れていきました。
やはり、創業家岩崎弥太郎の一族)の支配下にあった三菱が、財閥解体によって法人同士が株式を持ち合うようになったこと(著者が「法人資本主義」と呼ぶ状態)で、体質が変わったのでしょうか。
三菱自動車の欠陥隠しにしても、世に知れるようになったきっかけが「社員の告発」ということですから、著者が「会社本位主義は三菱グループという牙城で崩れだしたのである」と指摘しているように、変化の徴候と捉えることができるように思います。


著者の批判に逆行するように、東京三菱銀行UFJ銀行と合併して、ますます企業のスケールメリットを追求しようとしています。
「これからの企業に要求されているのは専門性と弾力性であり、それには大企業は適していない」という著者の主張は正しいのでしょうか。
10年単位でウォッチしていく必要がありそうですねぇ。