錦繍


1985年5月刊  著者:宮本 輝  出版社:新潮文庫  \460(税込)  270P


錦繍(きんしゅう) (新潮文庫)

著者について


著者は、『蛍川』で芥川賞を受賞、『泥の河』で太宰治賞を受賞した後、多くの作品を発表しつづけている小説家です。
本書を執筆するきっかけの一つが著者のエッセイに書かれていますので、彼の中学生時代の経験を先に紹介しておきます。


著者は井上靖氏の『あすなろ物語』を読んで、小説はなんとすばらしいものか、と感動したのがきっかけでおとなの小説を読むようになりました。中学2年生のときでした。その頃、父が事業に失敗して家計が苦しかったのですが、図書館で本を読むほどに、自分の本が欲しくなりました。
ある日、梅田の繁華街へ母とでかけたとき、商店街の道端で男が古い雑誌や本を売っていました。その中にあった10冊ひと束の文庫本を母にねだって買ってもらいます。当時の乏しい生活で50円は大金だったので、著者は男に、好きな本を10冊選ばせてくれ、と言いました。
そんなことをしたら全部の紐をほどかなければならないからダメだ、という男に、ほどいた紐は自分がくくりなおすからと交渉し、著者は、手垢で汚れた10冊の本を選び出します。
この10冊の文庫本は、純粋で吸収力の強い年代の著者に何度も何度も読み返され、小説に登場する人々は何百・何千の人間の苦しみや歓びを教えてくれました。著者は「何か不思議な天恵であると同時に宿命でもあったのだと思えてならないのである」と回顧しています。
その10冊の中にドストエフスキーの往復書簡体の小説『貧しき人々』がありました。この本が、「それから20年後、私に『錦繍』を書かせた」と言っています。
(第2エッセイ集『命の器』所収「十冊の文庫本」より)

本書の内容


本書は、離婚したあと10年ぶりに再会した元夫婦が手紙をやりとりするという、往復書簡体の小説です。
男は妻の父親の会社の後継者として仕事に励んでいましたが、ある日、旅館の一室で血だらけになって倒れているところを発見されました。同室にホステスのママが死んでおり、無理心中に巻き込まれたようです。
このようなスキャンダルを起したからには、妻の父親の事業を継ぐわけにはいきません。ホステスのママとの浮気の経緯も言い訳せずに男は去り、女は父の勧めるままに再婚します。
その2人が、偶然に旅先で再会し、女が手紙を送ったのをきっかけに2人の往復書簡がはじまります。一度は、「迷惑です」「これを最後にしたい思います」と、男が手紙のやりとりを拒もうとしましたが、女が近所の喫茶店の話を書いたことをきっかけに再開することになりました。
2300枚のレコードを買い溜めたマスターが定年後にやっと開店した「モーツァルト」という喫茶店が近所にあり、女はここではじめてモーツァルトの音楽をじっくり聞く時間を持つようになりました。マスターに感想を聞かれ、「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない」と女は感想を語り、マスターは考え込んでしまいました。
この何気ない出来事を手紙に書いたことにより、小説は展開をはじめます。男は長年秘めていた事件の秘密を語る決心をしたのです。男が語る事件の核心、今いっしょに暮らしている女性との生活、女が語る障害を抱えた息子との現在。
2人が語る内容は、いつの間にか宇宙の不思議なからくり、生命の不思議なからくりに包まれている思いにつながっていきます。最後の手紙で2人の胸中に去来するものは……。

錦繍の日々


もう一つの本書の執筆経緯が著者の第2エッセイ集『命の器』の「錦繍の日々」に明かされています。
小説家を目指して会社を辞めて3年後、『蛍川』で芥川賞を受賞してやっと小説家として市民権を得た著者は、それまで張り詰めていた心をゆるめようと、友人とふたりで東北旅行に出ました。その2年前から執拗な咳に悩まされるようになっていた著者でしたが、ここで倒れたらおしまいだと考えて、病院にも行かず、懸命に小説を書きつづけてきました。
とうとう旅に出る日、上野駅の便所で血を吐きましたが、この旅行を楽しみにしていた友人に言い出せず、そのまま列車に乗りました。蔵王温泉に着き、友人が星座の知識を喋り続けるあいだ、著者はうっとりと星々を見つめ、もしここで死ぬようなことがあっても、自分はしあわせだったという気持ちにひたりました。
翌日、蔵王山頂に向かうゴンドラ・リフトの中で生命力豊かなもみじが燃えるように紅葉しているさまをみかけました。その瞬間「錦繍」という言葉が心をよぎり、自分の生命もまた錦繍であるような思いにとらわれました。
その思いを小説にしようと思ったとき、本書の冒頭部分「前略、蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」という一節が心に浮かんだそうです。
なんとか家に帰り着いた著者は、そのまま入院して結核療養生活に入りました。健康になってから本書を書き上げたのは、数年後のことでした。
著者は、錦繍について次のように語っています。
   ことしもまた紅葉の季節がやって来た。だが紅葉は、私にとってもは
  や植物の葉の単なる変色ではない。自分の命が、絶え間なく刻々と色変
  わりしながら噴き上げている錦の炎である。美しい、と簡単に言ってし
  まえる自然現象などではない。それは私である。それは生命である。汚
  濁、野望、虚無、愛、憎悪、善意、悪意、そして限りなく清浄なものも
  隠し持つ、混沌とした私たちの生命である。どの時期、どの地、どの境
  遇を問わず、人々はみな錦繍の日々を生きている。

私の錦繍な日々


宮本輝の大ファンという友人に薦められて『錦繍』を読んだのは、ちょうど20年前です。今回読み返してみて、ストーリーをきれいに忘れていることに気付きました。「往復書簡」ということ以外は何も覚えていません。
この「忘れる」という能力があれば同じ本で何度でも感動できるんだな、ということを確かめる読書でもありました。


当時の私は、まだ「本は買って読むもの」という信念でしたので、本の最後に読み終わった日付け(場合によっては読み終わった場所)が書いてあります。
錦繍』を1985年6月23日に読了したあと、魅力的な彼の書名に引きよせられ『星々の悲しみ』『五千回の生死』など、いくつかの短編集を読みました。また、ちょうど朝日新聞に連載を開始した『ドナウの旅人』を毎回楽しみに読み、連載終了後にまた上下2巻を購入して通読したりもしました。
宮本輝が紡ぎだす小説も素晴らしいのですが、私は、彼の生い立ちや作家になってからの生活の様子を垣間見ることのできるエッセーも大好きです。初期のエッセー『二十歳の火影』『命の器』で、彼の生い立ちを知り、対談集『メイン・テーマ』で、彼の作家生活の様子を知りました。中でも宮尾登美子との対談では、二人とも「不安神経症」という精神の病を抱えていることを知りました。この病のため宮本輝は一人で外出することができず、対談や所用で出かける時はいつも夫人が付き添っているとのこと。
常人の想像を超えた世界に生きているからこそ、宮本輝の小説世界があるのだな、と感慨を深めました。
錦繍』執筆の遠いきっかけになったドストエフスキーの『貧しき人々』も本棚にありました。「1982年5月13日(木)埼玉県妻沼にて」とあります。そういえば、新入社員のセールス実習で埼玉県を2週間くらいかけてまわっていましたね。懐かしい……。
ちなみに、第1エッセイ集『二十歳の火影』の奥書には「1985年10月2日(水)。上田正樹コンサートの帰りに読了」と書いてあります。懐かしいですねぇ。


その後『命の器』の文庫本が出た時に、当時コピーライターをやっていた友人にプレゼントしたことがあります。私は知らなかったのですが、彼のお父さんも事業を失敗したことがある、とのことで、宮本輝の境遇に共感していました。
彼は、その後、仕事の関係で宮本輝に会った、と言っていました。宮本輝はボクが教えたんだからね! と少しうらやましく、少し誇らしく思ったものです。
最近では、昨年仕事で知り合った50代後半の男性も、1年間の読書時間の8割を宮本輝に充てた、という熱烈なファンでした。その方は宮本輝を「静謐な感性を持ち、言葉の一つひとつが輝き生きている文が書ける作家、人、親と子、男と女あるいは人生を深く鋭く観察している作家と思います」と評し、中でも『錦繍』は最高! と言っておられました。


いろいろ思いださせてくれる一冊でした。
きっと、この本を読めば、皆さんも宮本輝ファンになると思います。