メディア裏支配


副題:語られざる巨大マスコミの暗闘史
2005年3月刊  著者:田中 良紹  出版社:講談社   \1,680(税込)  278P


メディア裏支配―語られざる巨大マスコミの暗闘史


著者は1969年にTBSに入社以来、一貫して報道畑を歩んできました。最初の10年はテレビドキュメンタリーのディレクターとして「報道特集」などを担当しました。次の10年は社会部・政治部の記者として東京地検、官庁、自民党などの記者クラブに配属され、ロッキード事件や竹下政権誕生に立ち会います。その後TBSを退職して国会中継専門番組を制作・配給するシー・ネットの代表を務め、現在に至っています。
本書は、自身の36年間の経験を基に、政治権力と大手メディアがどのように既得権益を守ろうとしてきたかを暴露しています。


2003年9月、総裁選挙が告示された翌日、自民党野中広務元幹事長が政界引退を表明しました。野中氏の引退により、長らく日本を呪縛してきた政治の裏支配とメディアの裏支配が崩れはじめた、と本書の序章は始まります。
政治の裏支配とは、田中角栄氏が首相を辞したあとキングメーカーとして首相を裏から繰ることを意味しています。こちらの裏支配はよく知られていますが、メディアの裏支配とは何を指すのでしょうか。それは、やはり田中角栄氏が1957年に39歳の若さで郵政大臣に就任してから構築してきた、新聞とテレビがすべて系列化されるという特殊な構造から発する支配構造です。
著者が報道記者として関わった記者クラブは、閉鎖的な社会でした。各官公庁ごとに設けられている記者クラブは、記者会見をセッティングして公平にニュースを公開する、という機能の裏で、新参者を拒み、ニュースの隠蔽に手を貸すこともあれば、見返りに官庁にタカっている閉鎖集団です。最も象徴的なのは、「特オチ」と言って他社が報道した内容を一社だけが報道できなかったことを大きな恥とするくせに、全社が間違えると誰も責任を問われない、という体質です。著者は、中曽根首相の次期自民党総裁を著者以外が「安倍総裁で決まり」と自信満々の表情で伝えていたことに関して、「みんなと同じ記事さえ書いていれば、どこからも誰からも追求されることはない。間違えても将来には差し支えない。残念ながらそれがこの国の新聞とテレビである」と苦々しく書いています。(この時の中曽根裁定で決まった次期総裁は「竹下登」でした)
この閉鎖性は、テレビ局がすべて新聞社に系列化され、それを郵政省(現総務省)が監督するという業界全体に蔓延しています。アメリカのケーブルテレビ、衛星放送の多チャンネル放送は、視聴率よりも内容の多彩さを重視する世界であり、既存の放送局に対抗して新規ベンチャーが参入しています。それは、三大ネットワークのABCが始めた24時間ニュース専門局が弱小放送局だったCNNに負けて撤退したことが象徴的に物語っています。
しかし、日本ではお役所の指導と視聴率重視の経営によって、内容の多彩さで経営を成り立たせるのが難しくなっています。著者はアメリカで成功した議会チャネルを日本にも導入しようと「国会チャネル」を1998年にスタートしましたが、衛星放送会社が基本パックを持たないスカパー1社に収斂される中で苦戦し、放送電波を停止された現在はブロードバンドで放送を続けています。
衛星放送がBS放送とCS放送に分かれ、その二つが存在する国は世界でも日本だけです。地上デジタル放送網が完備される2011年も間近であり、メディアの世界は激変するに違いありません。


本書はメディアの寡占状態についての告発という側面を持っていますが、著者の長年の政治記者としての経験から語られる内容は刺激が強すぎます。「えーっ、どうしてこんなに重要なことが報道されなかったの?」「もし、これが本当なら、こんなことバラした著者はタダではすまないんじゃないの」と、心配になるほどです。
例えば、2003年12月1日、赤坂プリンスホテルで東京、大阪、名古屋の三大都市圏で地上デジタル放送が開始されたことを祝う記念式典が催されました。しかし、会場のモニターに映し出された映像は、実はケーブルテレビの映像でした。地上デジタルテレビの電波が会場に届かなかったからです。「今日は歴史的な日だ」と小泉総理大臣が挨拶するさまは、まるで漫画でしたが、新聞は記念式典の会場に電波が届かなかった事実を伝えていません。それどころか、受信機が30万台しか売れていないのに、「1200万人が受信可能」という総務省発表の数字をそのまま記事にしていました。戦前の大本営発表ではありませんが、国策である地上デジタル放送については、政府の発表どおりの内容しか書けないのがこの国の新聞です。
もちろん、この事実は本書で知りました。恐い話です。
他にも、「経営側と労働組合との交渉事だと思っていた春闘が、実は総理官邸が主導する政治問題だった」等、恐い話が山盛りです。


著者は「正しい情報」なんていうものは無い、と言います。そんな無いものねだりをするより、むしろ、見せかけの「正しい情報」を押しつけてくるメディアの裏側を知り、どう読み解くか考えることが重要である、という著者の意図が充分伝わる一書でした。