森と大地の言い伝え


2005年3月刊  著者:チカップ 美恵子【編著】  出版社:北海道新聞社  \1,890(税込)  333P


森と大地の言い伝え


本書は、アイヌ民族の文化復興に力を注いだ著者の伯父・山本多助氏と、その妹であり著者の母である伊賀ふで氏の著述を編纂したものです。
第一部「森に宿る言霊」では、山本多助氏が釧路のアイヌ系図と伝説を各地の古老(エカシ)たちに尋ね歩いた内容や、アイヌ民族の流儀を記しています。また、第二部は伊賀ふで氏が晩年に執筆した子どもの頃の体験記で、まだアイヌの伝統が残っていた頃の生活を伝えています。


アイヌ民族は文字を持っていませんでしたから、「ウ・チャ・シカマ:古事を言葉で語り伝えること」と、「ウ・パ・シカマ:古事を記憶にとどめ、伝えること」を大切にしました。
その言い伝えによると、北海道東部地方には裸族、穴居族、山狩り族らの先住者がいました。その後、
 「シリ・ウン・クル:大地の御方」族、
 「トイ・チセ・クル・コッチャ・ウシ・カムイ:穴居族のそれ以前に存在
    した神様」族、
 「トイ・チセ・コロ・カムイ:土の家に住む神様」族、またの名を
 「コロ・ポッ・ウン・クル:蕗(ふき)の葉の下に住む神様」
が現れ、次の
 「カムイ・ウタラ:神である同胞」族がアイヌ民族とのこと。
続いて、クシリ・アイヌの始祖から24代目の元祖山本多助エカシまでの名前と主な事跡の言い伝えが詳しく記述されています。中には、第9代アパイタンキ・エカシの娘が天空界の神様である雷神様に見染められ、落雷によって身ごもって生まれたのが第10代のカンナムカイ・エカシである、という神話的な言い伝えも残されているようです。


口承伝説というと、伝えられるたびに内容が変わってしまうのではないか、という印象がありますが、文字を持たないからこそ人から人へ正確に伝えようとするもののようです。
本書を読んで、アレックス・ヘイリーの『ルーツ』という小説を思い出しました。これは1980年頃の世界的ベストセラーで、アメリカで製作したテレビドラマを日本でも放映したことがあります。『ルーツ』は、アフリカで平和に暮らしていたクンタ・キンテという青年が白人に捕らえられてアメリカに奴隷として連れて来られるところからはじまります。彼を初代として、代々の息子たち娘たちが苦労しながら生きてきた様子が、家族の言い伝えとして残されました。
クンタ・キンテの末裔として小説に登場した著者アレックス・ヘイリーは、伝承されている一族の先祖の出自を確かめるために、アフリカで現地調査を開始します。古老から「勇者クンタ・キンテは、ある時、神隠しに会って突然いなくなった」という言い伝えを聞き出したとき、家族の物語もアフリカの伝承も、200年以上も前のことを正確に伝えていたことが証明されました。著者アレックス・ヘイリーが自らの祖先に辿りついた瞬間でした。


山本多助エカシは、もう口承されなくなった物語をエカシから聞き出し、その内容を文字に留めました。言い伝えの中には「ペンケ○○には義経と弁慶の古事がある」と語られているものもありますが、「アイヌ語から検証していくと、小才がある和人による創作だということが分る」と、怪しい伝説をはっきり「誤り」と断定する論証もあります。


本書は、ふたつの「死の淵から生還した体験」がなければ成立しませんでした。一つは太平洋戦争中に南太平洋に出征した伯父・山本多助が、復員してから3年間闘病していたこと。もう一つは、著者自身が急性大動脈解離で「ふつうなら即死する」容態になり、奇跡的に回復した体験です。著者が倒れたのは、祖母と母が亡くなったのと同じ年齢である55歳。奇しくも伯父・山本多助の生誕100年の年でした。
苦しい発作に襲われたとき、トオマス・マンの『ヴェニスに死す』の一文が著者の頭をよぎりました。主人公のように死んではならないと直覚して救急車を呼んでいなければ、著者は本書を完成することができないところでした。ふたつの奇跡が本書を世に送り出した、といっても過言ではありません。


私は北海道生まれで24歳まで北海道に住んでいましたが、道産子の私にとってもアイヌは遠い存在です。せいぜい、美幌峠や阿寒湖畔の観光地で記念写真撮影のために民族衣装を着たアイヌ人をみかけるくらいでした。


でも、本書を読んでいると、“和人”として生活していた私にも、アイヌ語に接する場面が多かったことに気づきました。
私のふるさとは訓子府町といい「クンネップ」というアイヌ語に当て字したものです。「クンネップ」の意味は、クンネ・プ(黒い・もの)で訓子府川が黒かったために名付けられたようです。
近くに「ポンケトナイ川」が流れていましたが、「ポン」というのは「小さな」という意味ですから、「ポンケトナイ川」は「小さなケトナイ川」です。「ケトナイ」は……、忘れました(笑)。


また、本書の122ページにある「古代のアイヌ社会ではアイヌ民族の生活を指導するカムイがいて、一人をサマヘクルと言い、もう一人はオキクルミと言った」という文を見て、北大の恵迪(けいてき)寮で先輩から教えられた寮歌を思い出しました。その中に「若き勇者よオキクルミ 熊をほうりてウタゲせし」という一節があったのです。
寮歌は先輩が何度も歌うのを後輩が覚えるという、まさに「口承」方式で伝えられました(笑)。調べてみたら、これは昭和2年寮歌「蒼空高く翔らむと」の6番に出てきます。正確には「若き勇者よオキクルミ 熊をはふりて饗宴せし」とありますから、熊を放り投げたのではなく、屠った(鳥獣などの体を切りさく。きり殺すこと)のでしょう。


私にとっては、故郷と学生時代を思い出す一書でした。
大自然と融和したアイヌ民族の文化を伝える内容は、“和人”の考え方とはひと味違う世界観を教えてくれます。日本の中の異文化に接してみてはいかがでしょうか。