デッドエンドの思い出


2003年7月刊  著者:よしもとばなな  出版社:文藝春秋社  \1,200(税込)  230P


デッドエンドの思い出


よしもとばななは、若い女の子むけの作家というイメージがあったので、いままで食わず嫌いでした。
著者インタビュー記事で「デッドエンドの思い出」という本が新境地を開いた作品である、ということを知りました。新境地を開いた作品であれば、よいきっかけになるかも、と思ってさっそく手にとりました。
この本が私のよしもとばなな初体験です。熱烈なファンの方にはトンチンカンに思われる感想を書くかもしれませんが、お許しください。


最初の印象は、なんだか長い文章を書いているなぁ、ということでした。ひらがなが多く、ちょっと見は柔らかい印象を受けますが、主人公たちが日常生活の中で、ものごとを深いところまで見つめようとします。自分の考えを突き詰めていく姿勢はまるで哲学者のようで、こんなところは父親の吉本隆明ゆずりなのかなぁ、と感じました。


この短編集に収められている5つの物語は、ぜんぶ若い女性が主人公。
5人とも、それぞれのとてもつらい経験を語ります。
幼くして父を亡くし、精神的に不安定になった母に虐待を受けたこと。毒物混入事件の被害者になって体調をくずしたこと。無理心中の巻き添えになった幼なじみの男の子のこと。お父さんが愛人の元に走り、お母さんに捨てられ、16歳で年上の幼なじみにレイプされた悲しい経験。婚約者を訪ねたら別な人と暮らしていたこと。どれも悲しすぎる物語です。
著者自身、「この短編集は私にとって『どうして自分は今、自分のいちばん苦手でつらいことを書いているのだろう?』と思わせられながら書いたものです」と「あとがき」に書いています。


こんなにつらいのに、5人の主人公は、自分のつらさをひっそりと受け止め、単調に思える日常の生活を繰り返し、流れにまかせて生きていきます。なかには、よりそってくれる男の子や家族に支えられて、幸せな光の玉に囲まれているような一瞬にひたる主人公もいます。
作者が泣きながら書いているつらい物語でも癒せるのですから、ふだんの日常生活で感じる傷なんて大したことではない、と思えるようになりそうです。


「デッドエンドの思い出」の最初の一編「幽霊の家」は、洋食屋の跡継ぎになる予定の「私」とロールケーキ店の跡継ぎを嫌う岩倉くんの物語。
二人の物語を追っているうちに、学生時代に出会ったある友人のことを思い出しました。

もう四半世紀以上前のことになります。
私が大学2年生の頃、まるで雀荘のように溜まり場になっている友人の下宿をよく訪問していました。徹夜マージャンが終わってボーッとしていたある日のこと。「俺の部屋に来ないか」と、別の友人に誘われました。
ジャズのレコードをかけ、コーヒーを私に勧めながら、彼は問わず語りに進路の悩みを話しはじめました。
特に何をしたいという目標がなかったので、医者である父に勧められるまま医学部を受験して合格したこと。まじめに授業に通ってはいるものの、このまま医者になって良いのだろうかと考えてしまうこと。しっかりした自分の世界を構築したいと思い、毎週のようにジャズのレコードを買って聞いているが、あまり満足していないこと。
貧乏学生だった私とちがい、彼の生活はとてもリッチでした。高価なオーディオセット、100枚以上あるレコード、レギュラーコーヒーセット。インスタントコーヒーが当たり前の当時の学生にレギュラーコーヒーセットはかなり贅沢なしろものです。
私から見れば何の苦労もない生活を送りながら、親の後を継ぐ、という古くて新しい問題に答えを出しあぐねている彼。そんな打ち明け話をじっと聞いている私。


女の子もつらいけど、男の子も別なつらさを背負いながら将来を模索していました。迷うことは青春の証しでもあったのでしょう。
中年男性になった私が「デッドエンドの思い出」を読んで、当時のことを懐かしく思い出しました。よしもとばななが人生に深く分け入っていく作家だからでしょうか。


出産を控えて、それまでのつらかったことを清算しよう。今しか書けない。と著者が書いた、つらく切ないラブストーリー集です。
著者は「これまで書いた自分の作品の中で、いちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました」と臆面もなく自画自賛しています。
あなたにとっても、癒しの物語になりますように。