恩師の条件


副題:あなたは「恩師」と呼ばれる自信がありますか?
2005年4月刊  著者:黒岩 祐治  出版社:リヨン社  \1,575(税込)  191P


恩師の条件―あなたは「恩師」と呼ばれる自信がありますか?


著者の黒岩祐治氏は50歳を過ぎたばかりのフジテレビジョン報道局解説委員。昨日も朝7時からの総選挙一週間前の特別番組に出演し、小泉総理はじめ各党代表の討論をメインキャスターとして仕切っていました。
本書は、その黒岩氏が中学・高校の6年間にわたって国語を教わった恩師の思い出を綴り、「ゆとり教育」のあり方に一石を投じる一書です。


神戸市出身の著者は、進学校で有名な灘校に入学しました。その後、父親が東京に転勤になり、麻布中学への転校手続きが進むなか、このまま転校すべきかどうか悩んでしまいました。
相談しにいった教師は、橋本武先生という国語の名物先生です。「どちらでもいい」と言われたら「自分のことを真剣に考えてくれていないのだ」と思ったかもしれませんが、橋本先生は、「どちらも同じくらいいい」と言ってくれました。
橋本先生は、文部省検定をパスした普通の国語教科書を使わずに、自作のガリバン刷り教科書で教えてくれる名物先生です。転校の相談が一段落したあと、橋本先生は本棚から数年前の教科書を持ち出してきて、「以前はこういう内容だったのを、君たちの先輩のアドバイスで、今はこういうふうに直しているんだよ」と、教科書作りの工夫をうれしそうに話してくれました。
こんなに一生懸命教えてくれる先生がいるんだ、と感激した著者は転校しないことを決断し、生涯の恩師との交流が始まりました。


先生の手作り教科書は、国語に対する橋本先生の情熱が凝縮されており、授業自体も真剣勝負の連続でした。偏差値教育でも、受験勉強でもありませんでしたが、いわゆる「ゆとり教育」とは正反対の徹底的な詰め込み教育です。当時を振り返り、「激しいトレーニングの連続によって、生徒の脳と心は教養という大きな滋養を獲得し、私たちは生きる力を得た」と著者は述懐しています。


自身の体験、橋本先生の人間像を紹介した後、最後に著者は提言します。
   私は教師の奮起を心から期待したい。(中略)炎のような情熱をもっ
   て生徒の魂にぶつかって欲しい。そして、生徒の一人一人の脳裏にそ
   の姿をしっかりと焼き付けて欲しい。


最近「恩師」という言葉を耳にすることが少なくなりました。教育の現場では、いろいろ問題を抱えているようですから、この言葉のように教師を無条件に尊敬する意味合いが薄れてきたのでしょうか。


一般的には「恩師」というのは、生徒との人間的交流を通じて、卒業後の人生を生きる上での糧を与えてくれた人のことを言います。
ところが、本書に登場する「恩師」は、意外にも生徒と人間的交流をすることが苦手なようです。著者が転校すべきかどうかを相談しに訪れた時も、その話題を深堀りすることはなく、自分の手作りの教科書に話題が移ると同時に饒舌になりました。
著者自身は、こんなにも国語教育に力を注いでいる教師の姿に感動し、その後「キャスター」という職業に就いたこともあって「恩師」と尊敬しています。しかし、読者から見ると、生徒という生身の人間よりは「国語」に情熱を注いでいた「国語オタク」と言えないこともない滑稽さが滲んでいます。
何かに夢中になっている、情熱を注いでいる、という姿そのものが著者の生きる姿勢に影響を与えたのでしょう。


私自身が「恩師」と慕う人は、中学校の先生と高校の先生です。どちらの先生もクラブ活動の顧問という形でお付き合いが始まり、やがて自身の青春時代の思い出を語ってくれたり、食事をおごってくれたり、本や映画を薦めてくれたりしてくれるようになりました。
目の前の進学先の相談に乗っていただいたのはもちろんですが、それらを通じて、もっと先の人生の指標になることも教えていただきました。本書の橋本先生よりも生活全般でお世話になりましたので、オーソドックスな意味での「恩師」といえるかもしれません。


学生時代の恩師だけでなく、社会人になってからも、先輩や上司の中に親身になっていただける方がいらっしゃいました。ほぼ10年に一人ずつそういう人間関係に恵まれたのは、とても幸運なことです。
本書を読んで、お世話になった人達への感謝の心を思い出しました。皆さんも、誰かを思い出すきっかけになるかもしれません。
ご一読をお薦めします。