著者:佐藤 愛子 出版社:文藝春秋 2013年8月刊 \1,512(税込) 237P
主婦の友社が出している50代以上の女性向け雑誌「ゆうゆう」の2年分の連載をまとめた本である。
雑誌「ゆうゆう」の長期連載は、これで3回目だそうだ。過去2回、それぞれ「老兵の進軍ラッパ」、「老兵の消灯ラッパ」という連載タイトルでエッセイを書きつづけてきた。
連載の共通タイトルになっている「老兵」というのは、マッカーサーが去り際に言った「老兵は死なずただ消えゆくのみ」からとっている。連載スタート時82歳だった著者が、引退を意識しながら書きはじめたエッセイだった。
「老兵の消灯ラッパ」連載を終わらせたとき、85歳になっていた著者はそろそろ楽隠居を目指そうとした。
しかし、かつて老人が楽隠居できた時代とちがい、いまの老人は医学の進歩のおかげでなかなか心身が衰えない。温泉に行きたい、おいしいものが食べたい、もっともっと楽しみたい、あれがしたい、これが欲しい等々。
欲望が枯れきっていないので、楽隠居できないことに佐藤氏は気づいた。
おりしも、新聞記事を見ていて頭にカッカと血がのぼる出来事がつづき、怒りのあまり元気になってしまった。もう楽隠居なんかしている場合じゃない! と2011年4月号から再開した連載タイトルは、「老兵は死なず」。
マッカーサーの言葉をそのまま借用し、年寄りの冷や水を盛大にぶっかける連載が再開されたのだ。
とにかく佐藤氏は怒っている。
社会に怒り、娘に怒り、かわいいはずの孫にまで怒りのほこさきを向けている。
容赦仮借のない物言いが本書の魅力で、「よくぞ言ってくれました」、「ごもっとも」、「そりゃ、言いすぎじゃありませんか」と読みながらチャチャを入れているうちに、あっと言う間に読みおわってしまう。
いずれも甲乙つけがたい珠玉の愛子さまのお小言のなかから、ふたつ紹介させていただく。
ひとつ目は、孫娘が髪を染めて帰ってきた事件。
孫が渋谷を歩いていたとき美容院の無料キャンペーンに誘われ、以前から染めたかったわけではないが染めてもらった、というのだ。
学生は学業に専念せよ。髪の色を気にするのは学業を終えてからでよい! と、かねてから孫に言っていた佐藤氏は、染めたあとの髪の色が気に入らない。
砂色というか古びたパン屑色というか、色が褪せ埃にまみれた十八世紀の西洋人形みたいな色というか、とにかくそういうけったいな色になってそのところどころに茶色の、メッシュというのだそうだが私の目には染めむらとしか思えないような筋が入っている。その上、眉も同様の色になっているのだ。それを一口でいうと、田舎の「アイドル気どり」といった趣なのであった。
なぜそんなことをしたのかと尋ねた佐藤氏に、孫は言った。
「だって、タダだっていたんだもん……」
「なにィ……」
佐藤氏の怒りに火がついた。
それなりの考え、目的、主義、必然性があった上で決断したことなら、私は許す。何の必然性もないのにただ「無料(タダ)」だからということでフラフラとついて行ったその根性が情けない。「身体髪膚(シンタイハップ)これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と……誰がいったのだったか、興奮しているので名前が出てこない。
とうとう「ご先祖さまに申しわけが立たぬ!」と、使い古された言い回しを繰り出した。
言葉のプロである作家としてどうかと思うが、それほど興奮してしまったのだ。
きっと孫は、「あ〜、めんどくさい」と思ったことだろう。
ふたつ目は、銀行に呆れた事件。
夏は北海道浦河町の「夏の家」で過ごす佐藤氏が、同行している娘の口座開設手続きに怒り、最後は呆れてしまった顛末だ。
娘は別世帯で名字もちがっているが、1ヶ月も滞在していると銀行口座がないと何かと不便なので町の銀行に出向いた。
窓口で口座開設を申し込むと、口座開設の理由を矢継ぎ早に尋ねられたという。
「東京に住んでいる人が、なぜこの町の銀行に口座を持つんですか?」
「この町に何をしに来ているんですか?」
「何のために来てるんですか? ここで何をしているんですか?」
「この口座の預金は何に使うんですか?」
娘から携帯電話で報告を受けた佐藤氏は、怒髪天をつき、
「そんなのやめなさい! やめっちまえ!」
と怒鳴りつける。
フリコメ詐欺防止のため、という理由をあとで聞かされても、佐藤氏のハラの虫はおさまらない。一切の銀行と縁を切ることまで考えたが、原稿料が銀行振り込みになっていて、現金での支払いがムリなのでがまんすることにした。
2、3日したころ、そんな佐藤氏が呆れるはてる話を娘が切りだした。
銀行の口座開設手続きの最後にある書類にハンを押させられた、というのである。
その書類は、「私は暴力団とは関係ありません」という内容だったそうだ。
ハンを押させてそれでどうなる!
「オレは暴力団だからハンは押せません」といって帰って行く正直者の暴力団員がいるものか? 銀行さんよ、本気でそう考えているのか?
そういいたい思いがこみ上げたが、もはや私は何もいわず、口をヘの字に引き結んだまま、怒る気も萎えていたのである。
うんうん、分かるわかる……。
でも、あんまり興奮しすぎないでね。愛子さん。