副題:昭和30年代横浜〜セールスマン時代のこと。
著者:小松 政夫 出版社:竹書房 2006年6月刊 \1,575(税込) 205P
テレビでおなじみ、小松政夫親分の青春時代を熱く描いた物語です。
「のぼせもん」とは、博多弁で、すぐに夢中になる、熱中しやすい人間のことをいいます。
上京して、いろんな仕事にすぐ夢中になり、他のことが何も見えないくらい夢中で働いた小松親分の青春時代。なかでも横浜トヨペットでの自動車セールスマン時代の出来事を中心に語っています。
昭和36年に俳優を目差して上京した松崎青年は、某新劇養成所の入学金が払えず、役者の道を一時あきらめました。魚河岸の若い衆を振り出しに、さまざまな仕事に熱中しますが、飽きるのも早く、職を転々とします。
事務機器のセールスマン時代に、横浜トヨペットの総務部にコピー機を売り込みに行き、事務職の女性相手によく油を売っていました。あまり楽しそうに騒いでいたせいか、あるとき「ブル部長」とあだ名をつけた人相の悪い部長に目を付けられてしまいます。
「キミは、ここで油を売って、あわよくばここで飯を食っていこう
ぐらいのことを思ってるんじゃないか?」
嫌味な言葉を浴びせられても、松崎青年はめげません。
続けて通っていたところ、
「キミはあんな、30万ぐらいの機械を売る男じゃない。うちで車を売りなさい」
とスカウトされてしまいました。
横浜トヨペットに入社した松崎青年は、後年コメディアンとして花開く持ち前の明るさで、売って売って売りまくりました。
なにしろ、最初に買っていただいたのは、なんと無免許のお客さんです。もちろん、自動車学校の手配から何からきちんとフォローさせていただいたのですが、これにはブル部長も「お前さん、いい根性してるなぁ〜」と、感心してくれました。
毎月のノルマに苦しめらたり、ヤクザに売った車のローンが焦げ付いたり、たいへんな目にあったりもしましたが、時代は高度成長にさしかかったばかりです。
ノルマを突破すれば「ブル部長」がキャバレーに連れて行ってくれ、販売目標を超えた分の割り増し給料も気前よく支払われました。
公募で植木等の付き人兼運転手として芸能界入りするまでの数年間のセールスマン時代をふり返り、小松親分は次のように述懐しています。
あの頃の僕は、若くて元気だった。
いや、横浜トヨペットの誰もが元気一杯だった。
そして何よりも、昭和という時代そのものが元気ハツラツでありました。
それに比べて今はどうでしょう。(中略)
そうだ、あの頃のことを本に書いて残しておこう。
元気一杯だった日本の姿を、今の日本人に見せてあげたい。
著者の意図通り、元気の出る本に仕上がってますよ!
さて、本書で泣ける場面がありました。
営業所全体のノルマ達成目前なのに、あと2時間しかない、という事態になり、松崎青年は最初に車を売った、あの無免許だったお客さんの家に向かいます。
もう寝ているところを起きてもらう。
しかも、前回新車を買ってもらってから、まだ3ヵ月もたっていない。
「どうかひとつ!」とお願いするものの、ムチャクチャなお願いということは、自分でも分かっている。
諦めかけたとき、お客さんは、
「俺は、松崎さんが困ったときには、力になろうと思ってたんだよ……
今がその時なのかな?」
と言いました。
「はいっ、今、大変に困っております」
と答えた松崎青年に言ったお客さんの言葉は……。
ああー、こんな泣ける言葉は久しぶりです。
ゴメンナサイ。
ネタばらしになるので、この泣ける言葉は、読んだときのお楽しみにさせていただきます。(186ページに載ってます)