久米宏です。


副題:ニュースステーションザ・ベストテンだった
著者:久米 宏  出版社:世界文化クリエイティブ  2017年9月刊  \1,728(税込)  337P


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ニュースステーション』や『ザ・ベストテン』の司会者を務めていた久米宏アナウンサーの書いた回顧録である。


TBSに入社し、アナウンサーの仕事をはじめてから50年という節目に、自分のアナウンサー人生をふり返り、嬉しかったこと、苦しかったこと、番組作りで工夫したこと等をサービス精神たっぷりに語っている。


久米氏のアナウンサー人生は、1967年に早稲田大学を卒業してTBSに入社したときに始まった。


冷やかしで入社試験を受けて受かってしまったそうだ。
学生のころからアナウンサーを目指していたわけではない、ということを示すエピソードだ。


本人は謙遜のつもりかもしれないが、いきなり自慢を聞かされたような気もする(笑)


当時、TBSの新人アナウンサーは、まずラジオ局に配属された。


後年、口から先に生まれたような滑舌を誇った久米氏だが、意外にも新人時代に「舌がもつれてしゃべれない」という状態に陥ったことを本書で明かしている。


「続いて気象現況です」という短い言葉を発するだけで、毎回、心臓がのど元までせり上がってもどしそうになり、口の中はカラカラになった。


入社3年目に深夜放送の「パックインミュージック」を担当した。
この放送で、やっとしゃべりに自信をもちかけたその時、健康診断で肺結核が見つかった。


入院はしなかったものの、「パックインミュージック」は5週間で降板。


午前10時半から午後4時半までの軽勤務にしてもらい、アナウンス室で電話番をする毎日。


同期のアナウンサーはもちろん、1年後輩の小島一慶アナウンサー、見城美枝子アナウンサーにも追い抜かれた。


精神的に追い詰められていたこの時期を、以前は「不遇な時代」と思っていたが、最近になって「この時期があったからこそ今の自分がある」と考えるようになったという。


ヒマな時間を使って勉強しよう! と気負っていたわけではなかったが、どう話せばリスナーの気持をつかめるのか、テレビ画面でどう動けば映えるのか、と考え続けたからだ。


このあと、いろいろな番組の思い出や、自分らしい話し方を見つける工夫が出てくるのだが、それはあくまで前座。
久米アナウンサーといえば、やはり『ニュースステーション』である。


当時、NHKの夜9時のニュースが圧倒的な強さを誇っていて、民放が夜のニュースを帯番組で制作することは考えられないことだった。


そのNHKに挑戦するという、無謀とも暴挙ともいえる企画が実現したのは、世界最大手の広告代理店「電通」が支持したからだった。


どの局で放送するか決まるまえ、最初に企画を持ち込んだのは、久米氏の古巣のTBSだった。


しかし、TBSは採用しなかった。


「報道のTBS」としては、取材経験もないフリーアナウンサーが報道番組を仕切る企画など、問題外だったのだろう。


結局、最新鋭の放送設備を予定していたテレビ朝日がこの企画に乗った。日本で初めてCNNと契約したテレビ朝日は、国際ニュースの生映像をいつでも入手できるという絶好の環境にあったのだ。


夜の生番組を持つことが決まり、久米氏は『おしゃれ』以外の全てのレギュラー番組を降板することにする。


新しいニュース番組はまだ正式発表されていなかったから、番組を降りてどうするのか、共演者から訊ねられても、正直に答えるわけにいかなかった。


ザ・ベストテン』で一緒に司会をしていた黒柳徹子との会話は、ちぐはぐなものだった。

「どうしてやめるの?」
「この時期に、いったんゼロ地点に立ち戻って、一から人生を考え直したいと思います」
「どうして考え直す必要があるの」
「同じローテーションを繰り返していると、見えなくなっているもの、失っているものもあります。このままでは僕は天狗になってしまうと思うんです」
「……どうせお休みになるのなら、アメリカに行って政治や経済勉強をなさったら?」


結局スポーツ紙にすっぱ抜かれて、番組開始の2ヶ月前、テレビ朝日は正式に記者発表することになる。


1985年10月7日、鳴り物入りではじまったこの番組は、なかなか視聴率が伸びなかった。


妻が円形脱毛症になるほどのプレッシャーのなか、少しずつ人気番組になるまでの物語は、本書の読みどころである。



僕は、『ぴったしカンカン』の頃から久米アナウンサーが大好きだった。『TVスクランブル』を放送していたときは、「大ファン」と言ってもいいほど毎週楽しみにしていた。


しかし、『ニュースステーション』が人気報道番組となり、久米氏のひと言が世論を動かすようになるのと逆比例するように、心の距離が遠くなっていった。


ひいきにしている野球チームが違うことはともかく、久米氏の社会的発言、政治的発言に賛同できないことが多くなったのだ。


久米氏の言っていることは正論ではあるのだが、言いっぱなしに聞こえてしまう。
気がつけば、「じゃ、どうしたらその正論を実現できるんだよ!」とツッコミを入れていた。


ニュースステーション』を見なくなった僕は、しばらく久米氏の番組をみかけなくなったが、7、8年くらい前に『久米宏 ラジオなんですけど』というTBSラジオ番組をポッドキャスティングで聞くようになった。


ニュースステーション』の終了から5年以上たって肩の力が抜けたのか、僕の好きな久米アナウンサーが戻ってきていた。


番組内で、アシスタントの堀江アナウンサーをからかいながら、12分きっかりのオープニングトークを締めくくる話術に素直に感心し、今週はどんな話題を繰り出してくるか、楽しみに聞いている。


スマホアプリの「ラジオクラウド」や「ラジコ」で聞けるので、この本が気になった方は、一度聞いてみることをお勧めする。