ビジネスエリートの新論語


著者:司馬 遼太郎  出版社:文藝春秋  2016年12月刊  \929(税込)  200P


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帯に「20年ぶりの新刊!」と書いてある。


国民的作家として知られる司馬遼太郎の新刊なのだから、未発表小説が見つかったのか! と期待する人もいるかもしれないが、残念ながらそうではない。


本書の内容は、サラリーマン向け警句集である。
しかも、はじめに出版されたのが昭和30年だから、厳密に言うと「新刊」ではなく「復刊」である。


昭和30年に発刊されたもとの本の題名は
  『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語
といい、著者名は「司馬遼太郎」ではなく本名の「福田定一」だった。


まだ司馬遼太郎産経新聞記者をやっていた時代で、直木賞を受賞する5年前のことである。


その後、『坂の上の雲』の連載が終わる昭和47年に『ビジネスエリートの新論語』として復刊されたが、この時の筆者名は本名のままだったというから、「司馬遼太郎」は小説を書くときしか使わない、というこだわりがあったのだろう。


もし本人が生きていたら、有名になる前の原稿が「司馬遼太郎」の名前で刊行されることもなかったのかもしれない。


そういう意味で、2度目の復刊であり、司馬遼太郎の「初の新書」でもある本書は注目すべき作品である。


当時の司馬遼太郎は、戦後のドサクサに新聞記者になってから10年目。


ひとつの会社につとめ続けるタイプではなく、すでに会社を3つ変わっていて、「スジメ卑しき野武士あがり」と自嘲していた。


中小の新聞社が淘汰されて新聞記者もサラリーマン化していくなかで、

宮仕えとは、サラリーマンとは一体何であろうかと考えることが多くなった。

という心境の時に、この本の依頼を受けた。


執筆のきっかけについて、司馬遼太郎は次のように書いている。

 金言名句が、ちかごろほど好まれる時代はないという。「金言は一人の人間の機智であり万人の智恵である」とラスキンもいっている。私が畏敬する友人六月社の永井君も、その商才で機敏にこの流行をとらえた。さらに一面、彼は、商売気をはなれた、真摯(しんし)な人生の旅行者の一人としての気持から、それぞれの章に古今の名句をちょうどダイヤのように象嵌(ぞうがん)していくよう、私に助言した。私は、よろこんでそうした。本書をつくる協働者の気持に、単なる商策でないものを感じたからである。


古今の名言解説を読めば少しは教養を身につけられるかもしれない、と当時のサラリーマンが期待して本書を手に取ったかもしれないが、本書が期待にこたえてくれたかどうか。


「スジメ卑しき野武士あがり」の著者は、出世の役にたちそうな解説はしてくれない。


そもそもサラリーマンは職業なのだろうか? などと読者に問いかけ、読んでいるうちに、自分の生き方をふりかえってしまう箇所があちこちに登場する。


「人は、義務を果さんがために生きるのである」というカントの言葉を引用して義務を果たすことを勧めたかと思えば、「人生意気に感ず」という警句を取り上げ、利害を超えた行動も大切であると訴えたりもする。


引用する名言のなかには、皮肉に満ちたものもある。


「不幸と喜び」という節では、

私たちは、他人の不幸に堪えられるだけ十分に幸福なのである。

というラ・ロシュフコーの言葉を掲げたあと、同期入社した友人の出世や収入を気にするサラリーマンのいやらしい実例を描写している。


昭和のサラリーマンも、今とは違った意味で大変だったんだなぁ……と、第1部を読んで暗い気持になったところで、司馬遼太郎は第2部にとっておきのネタを用意していた。


それは、「二人の老サラリーマン」という一文である。

自分の才能に限界を感じた夜、職場で宮仕えの陋劣さにうちのめされた夕、あるいは、自分がこれから辿ろうとする人生の前途に、いわれない空虚さと物悲しさを覚える日など、私はきまってあの二人の老人を憶いだすのだ。

と前置きしたあと、司馬遼太郎は新聞社の2人の先輩の思い出を記す。


ネタばらしになってしまうが、一人目の先輩の思い出を紹介させてもらう。


その先輩は、司馬遼太郎が最初に勤めた小さな新聞社の整理記者だった。


かつては朝日新聞、報知新聞、時事新報などで記者をしており、報道現場で、抜いた、抜かれたという勝負を続けてきたという。


「垢じみた戦災者用の兵服を終日、寝る間(ま)も、皮のように着こんでいる」という服装で、会社の押し入れで寝泊まりしていた。


朝刊の締切りが終わったあと、この先輩と編集局の片隅でよく焼酎を飲みながら話をした。


トクダネとは何か、よい記事を書くにはどうすべきか、など先輩の考える新聞記者道を話してくれた。


夜な夜な先輩と話していると、話の中によく「大成」という言葉が出てきた。


「新聞記者として大成するには、だな」などと、持論を話ながら何度も「大成」が出てくることが気になってしまい、とうとうある日、

「その“大成”ということは、具体的にはつまり何に成ることでしょう――」

と訊いてみた。


先輩の言葉は衝撃的だった。

「つまり現在の俺のようになることだ」


と言い切ったのだ。


先輩の言うには、新聞記者というのは現場取材して原稿を書く人のことであり、現場を離れた新聞記者の「大成」はあり得ない。


たとえ、部長や局長になったとしても、出世のために現場を離れたものは、もはや新聞記者ではない。


新聞記者として大成するには現場に居続ける必要があり、その結果、ツブシの利かない高齢者になってしまうが、それは仕方のないことだ。

「ただ、おれの現在のようになるしか手がないんだよ。これがいわば、新聞記者としての大成だ。世間じゃ名づけて敗残者とでも云うかもしれんがね、本人さえその一生に満足すればそれでええじゃないかな」


本書から離れるが、作家の佐藤優氏は、『いま生きる階級論』の中で、次のように言っている。

われわれ自身が労働力商品となっている。商品経済の中で労働力商品を売るしか生きていく道はない。ある意味、身も蓋もない話です。だから、このシステムの中で自己実現なんて、実はあり得ないのです。


人生をお金だけで評価しようとすると、昔も今も、普通のサラリーマンは人生に満足することができない。


ところが、先輩記者はお金に繋がる出世を選ばず、新聞記者として「大成」したことに満足している。


くわしい内容は割愛するが、司馬遼太郎に強い印象を残したもう一人の老サラリーマンも、金銭的に恵まれない老後を送っていたが、後悔はしていない。


それでも「わしの人生は成功やった」と言い放った先輩サラリーマンは、司馬遼太郎の心に深い傷あとを残したに違いない。


後日談になるが、本書を出版したあと、司馬遼太郎は小説家として「大成」し、国民作家と言われるようになった。


つまり、「野武士あがり」の新聞記者は、本書で「それでいいのか」とサラリーマンに問いかけ、その後の自身の行動で一つの回答を示したことになる。


あまりに立派すぎる回答ではあるが、だからといって自分には関係のない問題と考えるのはもったいない。


自分が国民作家になるなんて思ってもいなかった福田定一氏の問いかけは、決して過去のものではない。


今でもサラリーマンが人生を考えるきっかけを与えてくれる。


きっと。