著者:木村 友祐 出版社:未來社 2016年3月刊 \1,944(税込) 158P
東北を舞台にした短編小説である。
主人公の将司は、40歳を過ぎて職を転々としている。
大学を出て小さな出版社や印刷会社に勤め、本に関わる仕事をしていたこともあるが、人間関係につまずいたり仕事がきつかったりして、さまざまな仕事をわたりあるくようになった。
フリーターや転職を美化する風潮もあり、30代のうちは「まだやりなおせる」と自分に言い聞かせることもできた。
しかし、40代をむかえてしまった今、自分が恐れていた事態に陥ってしまったことをはっきりと自覚した。
金もない、女もいない、友だちもいない、顔もよくない、服選びのセンスもない、夢もない、人づきあいもうまくできない、仕事もできない、機転が利かない、愛想もない、おもしろくない、人に好かれない、暮らしを楽しめない、つまり人としての魅力がない。ない。ない。ない……。
ないないづくしのなか、いつも決まって見る夢のなかに、叔父の「イサ」
が現れるようになった。
「イサ」こと川村勇雄は、かつて器物損壊、暴行、船の上で人を刺した傷害罪などで前科十犯以上を重ねた男だった。
将司の父より4歳下なので、数えで71歳になるはずだが、どこで暮らしているのか誰もしらない。
犯罪や暴力と無縁に生きてきた自分の身内にそんな荒くれ男がいるということを不思議に思い、将司は叔父のことを調べてみることにする。
帰省して親戚に話を聞くうちに、なぜ叔父がそんなに荒くれるようになったのかだんだん明らかになってくる。
ほかの兄弟より奔放だった「イサ」叔父は、厳格な父親から「しつけ」を受ける。
あるとき、稲を干すのに使うような太くて丈夫な棒で何度も何度も殴られた。
家に帰ってきた父親は言った。
「はぁ、一生ぷったら(叩か)がなくていいくれぇ、ぷったいだ(叩いた)」
いまなら間違いなく児童虐待で事件となるような「しつけ」を受け、「イサ」叔父は何を感じただろうか。
その後、「イサ」叔父は子どものいない親戚に預けられたことがある。気に入られれば里子に出されるはずだったが、手がつけられないほど反抗的で凶暴だったので、すぐに本家に返されてしまった。
父親のしうちはますますひどくなり、元旦のお年玉も「イサ」叔父だけはもらえない。
兄姉たちはみんな高校に行ったのに、「イサ」叔父は中学を卒業しても進学させてもらえない。
成人した「イサ」叔父は、酒を飲むたびに父親のしうちを思い出しては、「クッソォ、あの野郎んど、人ばバガにしくさって」と毒づき、暴れた。
「迎(むが)えさもでねぇのが、あぁ? 知らねぇふりが。ぶっ殺すぞオラァッ」
土足で家に上がりこんで、家のなかをめちゃくちゃにしても、もう父親は何もできなかった。
聞けば聞くほどどうしようもない「イサ」叔父であることが分かってきたころ、「今の東北には、あいつみてぇなやづが必要だどいう気もする」という人物に出会った。
東日本大震災と原発で東北は苦しい思いをしているのに、東北人は苦しさを表現することが得意ではない。
どうしてこんな思いをしなければいけないんだ! と「イサ」叔父のように暴れたっていいのだ、と彼は言う。
東北の苦しさは、主人公の将司の苦しさでもあった。
東京で職を転々とし、故郷に帰ってこようとしても「イサ」叔父と同じように自分も父親とこじれてしまっている。
将司は、自分の前にいつしか口をあけていた巨大な穴を見つめて
いた。底が一切見えない、無限につづく空洞のようだった。風は
そこから吹いてくる。とめどなく吹いてくる。
将司ははじめ、それは叔父の抱えた穴だと思って見ていた。こ
のゼロの空洞から暴力がやってきたのではないかと思った。だが
すぐにそうではないと気がついた。ほかでもない、自分自身にあ
いた穴だった。
これ以上、理不尽に耐えられなくなった将司は、ついに叫んだ。
おらが、イサだっ!
お前たちに俺の苦しみがわかるか! ふざけんな!
将司だけではない。
東北じゅうのイサたちが「氾濫」して、東京に向かっていく。
蔑まれ利用されてきた者の積もりつもった怨念を今こそぶちまけるために――。