コンビニ人間


著者:村田 沙耶香  出版社:文藝春秋  2016年7月刊  \1,404(税込)  151P


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このメルマガで芥川賞作品を取りあげたことはない。


直木賞が「大衆文芸作品中最も優秀なるもの」に授与されるのに対し、芥川賞は「純文学短編作品中最も優秀なるもの」に与えられる。


「純」文学ということばが、「不純」文学を見下しているようで好きではないし、芥川賞作品を読んでみても、すっきり割りきれないモヤモヤした終わり方を不満に感じてしまう体質なので、そもそも芥川賞受賞作品をほとんど手にとったことがない。


昨年話題になった又吉直樹著『火花』も、家族が読みたいというので買ってはみたものの、とうとうぼくは読み通せなかった。
芸人のピース又吉は好きな芸人の一人なので50ページくらい目をとおしたものの、作品が面白く感じるようになるまでガマンできなかったのだ。


しかし、この第155回芥川賞を受賞したこの『コンビニ人間』は違った。
読む前から著者に興味を持っていたので、すらすら読了することができ、「これは面白い!」と感じた。


賞の発表から2ヶ月がすぎ、少し古い話題になってしまったが、今日はこの芥川賞作品を紹介させていただく。


ぼくが著者の村田沙耶香氏を知ったのは、お笑い芸人オードリー若林のテレビ番組である。


BSジャパンで毎週金曜よる11時30分から放送、という深夜枠で今年6月までほそぼそと放送していた『ご本、出しときますね?』という番組があった。


オードリー若林は「無類の本好き芸人」だそうで、ピース又吉と本の番組で共演したこともある。
『ご本、出しときますね?』は毎週2人のゲスト作家を迎えてトークを繰り広げる“文筆系バラエティ”という、聞いたことのないジャンルの番組である。


失礼を承知で言うと、キー局で最もマイナーなテレ東系で、地上波でもなく、しかも深夜枠というのは、「もう視聴率なんか考えなくてもいいんじゃない?」っていう時間帯である。


にもかかわらず、たった1クール(12回)で終わってしまった。
「本」をテーマにする番組を見る人は、やっばり少なかったようだ。


それでも、本読みには面白い番組だったこの番組の第4回に村田沙耶香氏は登場した。


なんでも、第1回のゲスト西加奈子氏をはじめ様々な作家達が「クレイジー」と言っていたそうで、オードリー若林もたのしみにしていた。


どんなふうに「クレイジー」かというと、たとえば小学校のころクラスで問題がおきて男の子が大ゲンカしているとき、気が付かないふりして真ん中を突っ切ろうとしたことがあるそうだ。


ふつうはケンカに巻き込まれないよう遠ざかるものなのに、なんで真ん中を通ったの? というツッコミを受けて、村田氏は言った。

「でも、私のようなおとなしい女子が殴り合ってるのに気付かずに真ん中を突っ切ったらケンカって終わるんじゃないかなって思って」


自分たちのやってることって些細な事だって感じるのではないか、というのだ。


作風もクレイジーだそうで、『殺人出産』という作品では、10人産めば1人殺していいという世界を描いていて、この作品を書くときに、

  「血がいっぱい出たり、人体の仕組みを調べたり、すっごい喜び」

と思いながら書いていたとのこと。


売れっ子作家になったあとも、かなり本腰を入れてコンビニのバイトをしている、という話もしていた。


バイトのある日は深夜の2時に起床して6時まで執筆し、8時から13時のコンビニ勤務が終わったあと、コーヒーショップなどでさらに執筆を続けるそうだ。
バイトの時間までに書かなきゃ、と思うと書けるのだが、逆にバイトのない日はまったく書けないので、編集者も「もっとバイトの日を増やしてください」と言うほど、とのこと。


コンビニ勤務を生活の一部にしている著者が書いた『コンビニ人間』には何が書いているのだろう?


期待をふくらませながら読みはじめた。



主人公の恵子は、36歳の独身女性。
大学1年生のときにコンビニでバイトしはじめ、そのまま18年おなじコンビニに勤めている。


恵子は、子どものころから少し奇妙がられる子どもだった。


公園で小鳥が死んでいるのを見つけたとき、「お墓をつくってあげようか」という母親に向かって「これ、食べよう」と言った。


父親は焼き鳥が好きだし、自分も妹も唐揚げが大すきだ。
せっかく死んでいるのに埋めてしまう理由が分からなかった。


小学校に入ったばかりの時、体育の時間に男子が取っ組み合いのけんかをしはじめたことがある。


「誰か止めて!」という悲鳴をきいて恵子は用具入れをあけ、中にあったスコップを取りだすと、暴れる男子の頭を殴った。


なぜそんなことをしたのか先生に訊かれ、

「止めろと言われたから、一番早そうな方法で止めました」

と答えた。


職員会議に呼ばれた母親が「すみません、すみません……」と先生に頭をさげているのを見て、何かいけないことをしたらしいことは分かったが、なぜいけないのかは理解できなかった。


そんな恵子が新規開店のコンビニではたらきはじめたとき、はじめて「世界の部品になることができた」と感じた。
コンビニ店員として、世界の正常な部品として恵子は誕生したのだ。


大学を卒業したあと、何度か就職活動をしてみたこともあるが、うまくいかなかった。
なぜ何年もアルバイトをしていたのか面接でうまく答えられなかったし、マニュアルのないところで普通の人間としてふるまう方法がよくわからないままだった。


店長が8人目になった今も、こうして恵子は同じコンビニに勤めている。


ある日、バイトに採用された新しい男の子が入ってくる。


研修期間が終わったとはいえ、まだコンビニの仕事をよく分かっていないのに、「僕は大体わかってるんで」と偉そうにする。他にも、言われた仕事をしないでサボってばかりいるわ、レジのなかで携帯いじってるわ、ろくにレジ打ちもできないできないくせに発注をやらせろと言うわ……。


アルバイトとしてだけでなく、人間として問題のあるこの男の登場が、恵子の生活に影響を与えはじめる。


コンビニをやめさせようとする男のたくらみは成功するのか。
恵子の行く末はどうなるのか……。



ちょっと「天然」キャラクターの著者が書いた笑える話として紹介してみたが、「天然」というのは多数派が少数派をからかっていう呼び方だ。


多数派が「普通」と思っていることを少数派は「普通」に感じない。「普通」を押しつけてくる多数派の圧力を受けとめるのは苦しい。


「普通」って何なの? 直らなきゃいけないの? という主人公の悲鳴が聞こえてくるようにも感じた。


悲劇と喜劇は見る角度によって変わってくる、という。


芥川賞の審査員たちが「今でなければ書けない、優れた作品として評価」したものが悲劇に見えるか、喜劇と感じるか。


あとは、ご自分でお確かめいただきたい。