副題:会社を辞めるということ。
著者:稲垣えみ子 出版社:東洋経済新報社 2016年6月刊 \1,512(税込) 211P
書名:アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと
著者:稲垣 えみ子 出版社:朝日新聞出版 2016年6月刊 \1,404(税込) 188P
一人の著者が「退職」「退社」という題名のつく本を同時発売し、話題になっている。
著者の稲垣えみ子氏は、ことし1月に退社したばかりの「元」朝日新聞記者。
マスコミ関係者でテレビに何回か出たことはあるものの、決して人気に押されてフリーになったわけではない。
将来の見通しも何もない。本人も
50歳、夫なし、子なし、そして無職。まさに文字通り『糸の切れたタコ』だ。
と書いているとおり、ともかく区切りよく50歳で会社を辞めてしまったのだ。
退職するに至った理由はいろいろあるけれども、朝日新聞社とケンカしたり、会社に砂をかけて飛び出したわけではない。その証拠に『アフロ記者が……』は朝日新聞出版が発行しているし、『アフロ記者が……』の著者プロフィールで『魂の退社』を紹介している。
なので、退社した人が元の会社の内実をあばきたてる「暴露本」を期待する人は読まない方がいい(笑)
会社に恨みつらみはないものの、会社員生活から解放された稲垣氏はいま開放感いっばいで、次のように書いている。
私は今、希望でいっぱいである。いやホントですよ……いや、正直に言えば不安もある。いや、本当に正直に言えば不安でいっぱいだ。ものすごくいっぱいだ。それでも、やっぱり希望にあふれているのである。
……と言っておく。
稲垣氏が会社をやめるきざしは、実は30代の後半にはじまっていた。
ずっと横並びだった同期が一斉に「司法キャップ」や「遊軍キャップ」のポストに就いていくなかで、自分は候補にも挙がっていないらしい、と気づいたのだ。
とても出世街道を走りぬく気力をもてなくなった著者は、定年後を想像してみて「いまの金満生活のままではいけない」と思うようになった。
当時の稲垣氏は、好きな洋服は買いたいほうだい。
化粧品も高いものを使い10日に一度はエステ通い。
仕事がら外食が多いのはしかたないとしても、おいしいお店を探して食べ歩いたり、高級ワインを飲んだりする。
出張する時は差額をはらってグリーン車を使い、いつかは飛行機もビジネスクラスに乗りたいと思ってる。
ふりかえってみると「顔から火が出る思い」がするような金満生活だったそうだ。
将来のために「お金がなくてもハッピーな生活」を送るにはどうしたらいいのか。
いや、むしろ「お金がない方がハッピーだよね」という自分になりたい、と考えはじめた著者に、願ってもない転機がやってきた。
それは、香川支局への転勤。
香川県といえば「うどん」。
1世帯あたりのうどん・そば消費量がダントツで日本一を誇っていて、しかも安い。
「セルフ」系のお店の素うどんは1杯100円台で、奮発して天ぷら3枚のっけても500円以内に収まる。都会のようにランチに千円もかけなくてもいいのだ。
ランチだけではない。
香川県の人は、何か買うときにも「これやったらうどん○○杯食べられる」と計算するのが当たりまえになっていて、1杯100円台のうどんから見て高いものは買わない体質になっている。
納得のいかない高いものは買わない! という、この香川県気質が稲垣氏の金満体質を少しずつ変えていった。
「総局デスク」という立場上ずっと社内にいなければならないので、外食する時間がなくなった。
近場の山あるきにはまり、農産物直売所の魅力に目覚め、気がつけば「お金を使わなくてもハッピーなライフスタイル」が身についていた。
このあといろんな心境の変化があり、最終的に「50歳で会社を辞める」と決めることになるのだが、詳細は割愛。
50歳で一流企業を会社をやめるという体験談は、そう多くないものの、本にするほど珍しい話ではない。
稲垣氏は在職中からアフロヘアにしたりして、ちょっと変わった記者だったのだが、これも「はー、そうですか」というレベルの話である。
この本を読んで、ぼくが何より驚いたのは「ほとんど電気を使わない生活」である。
きっかけは東日本大震災の時に起こった福島第一原発の事故だった。
世論を反原発に導いていった朝日新聞の記者らしく、稲垣氏も脱原発に賛成だ。
しかし、脱原発を叫ぶだけではいけないのではないか?
原発を止めろと主張するからには、原発のない暮らしを実践してみよう! と考えたのだ。
当時住んでいた神戸市は関西電力の管内で、関西電力が供給する電力の半分は原子力発で発電していた。
「原発のない暮らし」ということは、電気を半分節約するということだ。
さっそく、こまめに電気を消すとか、使っていないコンセントを抜くとかして、電気代を節約してみたが、ほとんど変化がなかった。
そもそも一人暮らしの稲垣氏は、それほど電気を使っていなかったのだ。
ご飯は鍋で炊くので炊飯器はないし、掃除機もなし。けっこう電気をつかう電気ポットも持ったことがない。
毎月の電気代は3千円以下だったという。
「節約」では半額にとどかないことがわかると、稲垣氏は発想を変えた。
最初から電気はない! と決めて、どうしても必要なときだけ最低限の電気を使わせていただく。そうすれば「節電」では出せない結果が出るに違いない。
たとえば、夜帰宅しても明かりはつけない。
玄関で、暗闇に目が慣れるのを待つ。うっすらと室内が見えてきてから、靴をぬぎ、家に上がる。
慣れれば、着替えも、トイレも、お風呂も、ほとんど何でも明かりなしでできる。
それまで、何はともあれテレビをつけていたが、習慣でテレビをつけるのもやめた。
調子に乗ってきた稲垣氏は、次々と電気製品を捨てはじめた。
電子レンジ、扇風機、こたつ、ホットカーペット、電気毛布……。
暖房機の代わりに、湯たんぽを使ってみると、じんわりと気持ちよかった。
禁断の領域に足を踏みいれた稲垣氏は、とうとう冷蔵庫をやめることにした。
冷蔵庫にビールしか入れていない人なら無くていいかもしれないが、料理が趣味で弁当も作る稲垣氏なので、冷蔵庫の中には食材や調味料がたくさん入っている。
冬に冷蔵庫なし生活をはじめたときは、それほど困らなかった。
「なんだ、余裕じゃん」と思ったくらいだったが、夏が近づくと保存期間がどんどん短くなってきた。
買ったものは、その日に使い切らなければならないので、食材をまとめ買いできなくなる。
買い物の量がどんどん少なくなって、レジへ持っていくのはせいぜい2種類で500円以内。
生きていくのに必要なものって、ちょっとしか無いんだ。
いったい今まで、カゴいっぱいの何を買っていたんだろう。
こうして電気代はどんどん安くなり、いまは何と! 月額200円以下で生活できているそうだ。
物欲から自由になったことが、会社を辞める理由のひとつにもなっていく。
実際に会社をやめたあと、社宅を出るために不動産屋で苦労した話、退職金控除や失業保険で憤慨する話、ケータイ買って3日寝込む話、等々が続くのだが、あとは読んでのお楽しみとさせていただく。
会社を辞めるのはたいへんかもしれないけど、人生に「自由」を取りもどすことも大切ですよ、と考えさせられる本だった。
あ、でもぼくはまだ辞めませんからね〜