著者:グードルン・パウゼヴァング/〔著〕 高田ゆみ子/訳 出版社:みすず書房 2015年12月刊 \2,808(税込) 241P
第二次世界大戦末期のドイツの片田舎を舞台にした小説である。
日本では昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まったが、第二次世界大戦はもっと前、1939年9月1日にドイツがポーランドへ侵攻したことによって始まっていた。
はじめはフランスやベルギーなどの西ヨーロッパを勢力下におき、ソ連にも侵攻して版図を広げていったドイツだったが、モスクワ攻略に失敗し、スターリングラード攻防戦に敗北した1943年初頭から押される立場になった。
物語がはじまる1944年8月には、東部戦線ではソ連に、西部戦線ではアメリカやイギリスにじりじりと後退させられる戦況になっていた。
主人公のヨハンは祖国を守るための戦いに参加することを心待ちにする少年の一人だった。
17歳になってすぐに入隊し、英雄的な活躍を夢みていたヨハンだったが、短い訓練期間のあとすぐに前線に送られ、2日目に左手を爆弾で吹き飛ばされてしまった。
故郷にもどったヨハンは、郵便配達の仕事に復帰した。
来る日も来る日も、徒歩で山あいの7つの村をまわって郵便や荷物をとどける生活を送っている。
毎日おなじ道をたどり郵便をとどけ続けていると、村人たちの家族構成もさまざまな事情もわかってくる。
居酒屋の女主人のクリスタ・フィードラーは、前線にいる夫に代わってひとりで店を切り盛りして繁盛している。
森林官の官舎に住むキーゼヴェッター未亡人は、いつも孫から手紙が来ていないかと尋ねる。夫を亡くし、息子夫婦を交通事故で亡くしたあと、残された孫のオットーが戦地へ行ってしまったのだ。
そのオットーは、実は3ヶ月前に戦死しているのだが、何度説明してもキーゼヴェッター未亡人は信じてくれない。
都会から疎開してきた小学生たちと、引率してきた2人の女性教師。
捕虜として連れてこられたポーランド人やウクライナ人、フランス人たち。
大きな事件はおこらず、ヨハンと村人たちの静かな交流がつづられていく。
少しずつドイツの占領地域が小さくなるにしたがって、戦地の父や夫からの手紙が減っていき、代わりに「黒い手紙」とヨハンが呼んでいる戦死の通知書がふえていく。
ヒトラーがいるから戦争には必ず勝つ! と信じている人もいれば、もうこの戦争に勝ち目はない、と戦争が早く終わることを心待ちにしている人もいる。
1945年5月。ドイツが降伏した。
やっと平和がおとずれるかと思った矢先、物語は急展開して衝撃的な結末をむかえる。
主人公のヨハンを待ち受けていた運命とは……。
著者のパウゼヴァング氏は1928年生まれ。
作家になって数十年は環境問題、社会問題をテーマにしていたが、1990年代から自分の少女時代やナチズムと取り組むようになった。
この物語の主人公ヨハンも終戦時に17歳だった著者と同世代である。
戦争経験者は年々少なくなっていく。
自身の経験を語り残しておきたいという著者の思いについて、訳者あとがきで高田ゆみ子氏は次のように書いている。
本書はパウゼヴァングが戦後七十年のなかで熟成させてきた思いを小説のたかたちにしたものである。時代が変わり、紛争や対立の図式が変わっても暴力は何も生まない。戦争は人を選ばない。望むと望まざるにかかわらず全員が当事者になる。他人事ではないのだ。このような事態を生まないために私たちは、冷静な判断のできる思考力を育て対抗力のある感性を身につける必要がありはしないか? ここにこめられたメッセージと問いを、正面から受け止めたいと思う。
アメリカとソ連の冷戦が終わって世界は平和になると期待したが、紛争の種は尽きず、世界のどこかでいまも戦争が行われている。
日本を取り巻く国際情勢も決して平穏とはいえず、なにかの事件をきっかけに、「やっちまえ!」という興奮した世論が大きくなることがあるかもしれない。
それでも、最後の最後に戦争を回避させるのは、
「家族を戦場に送りたくない」
「夫を返せ」
「息子を返せ」
「戦争はイヤだ!」
という素朴な感情だと思う。
そのために、私たち一人ひとりが戦場の悲惨さを知ると同時に、家族を奪われた人々がどれほどたいへんな思いをしたかを理解していかなければならない。
決してワクワクするような読書ではないが、僕も、本を通じて戦争の悲惨さを感じ取るようにつとめ、書評も書いてきた。
- 浅田次郎著『終わらざる夏 上・下』 (ぼくの書評は → こちら)
- 勇崎作衛/絵 石黒謙吾/構成『キャンバスに蘇るシベリアの命』 (ぼくの書評は → こちら)
- 中国引揚げ漫画家の会編『少年たちの記憶 中国からの引揚げ』 (ぼくの書評は → こちら)
- 石子順 ちばてつや 森田拳次著『ぼくらが出合った戦争 漫画家の中国引揚げ行』 (ぼくの書評は → こちら)
- ドナルド・キーン著『戦場のエロイカ・シンフォニー』 (ぼくの書評は → こちら)
- 石川文洋著『死んだらいけない』 (ぼくの書評は → こちら)
- ジョジアーヌ・クリュゲール著『ボッシュの子』 (ぼくの書評は → こちら)
書評がきっかけになって、石黒謙吾さんに『キャンバスに蘇るシベリアの命』の講演会をお願いしたこともある。
考えてみればあたりまえのことではあるけれど、今回、ドイツを舞台にした作品を読んでみて、戦争で生活が破壊されるのはどこの国も同じであることを教えられた。
遠い国の遠いむかしの話ではない。