その問題、経済学で解決できます。


著者:ウリ・ニーズィー ジョン・A・リスト 望月衛/訳  出版社:東洋経済新報社  2014年9月刊  \1,944(税込)  364P


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人はインセンティブ(ご褒美)で動くものです。
ご褒美をわたすタイミングや種類をくふうすれば、意図したとおりに動いてくれますよ。


どうすれば効果的に人を動かせるか、実験で確かめてみたらおもろい結果がでましたよ!


――以上が、ざっくりまとめた本書の内容である。


帯に「行動経済学ここに極まる!」と大きく書いてあるとおり、この本は行動経済学者が書いた。


行動経済学ってなんですか? という方のために簡単に解説すると、行動経済学とは、

古典的経済学は
 「人間は合理的に判断して行動する」
と前提しているのに対し、
 「いやいや、人間はそんなに合理的では
  ありませんよ。
  目の前の利益につられて行動して
  あとで損したりしますよ」
という前提に立った経済学

である。


「合理的な行動」は理論をつめていけば予想できるが、「合理的ではない行動」は予想しにくいので、実験してみなければわからない。


とはいえ、多くの人間を相手に実験するのは手間もヒマもお金もかかる。


しかたがないので、行動経済学では人間観察データを元に理論を立てることが多かった。


多くの行動経済学者が集計されたデータの中から何か使えるデータがないか探しているなかで、本書の著者ウリ・ニーズィーとジョン・リストは、「現実の世界で経済学の実験を行う」という道をひらいた。


この本で取りあげている実験対象は、教育、ビジネスから発展途上国支援までと幅がひろい。

  • 子どもの成績を上げるには?
  • ワインをたくさん売るには?
  • 保育園のお迎えの遅刻をなくすには?
  • 娘の競争力を高めるには?
  • お得に買い物をするには?
  • 恵まれない子に寄付してもらうには?
  • 社員の生産性を上げるには?


ハードカバーで本文が350ページもあるのに、一つひとつの実験がおもしろく、「へぇ〜、こうやって実験すると、こういう結果が出るんだ!」と感心しているうちに読みおわってしまった。


この本を読む前、ぼくはインセンティブという言葉が嫌いだった。


わずかなお金で人を行動させるのはプライドを壊す行為なのではないのか、と考えているからだ。


ぼくがそう考えるようになったのは、学生時代の苦い経験からだ。


自動車免許をとりたてで車に乗りたい! と思っていたとき、先輩からボロボロの軽自動車を2万円で譲り受けた。


マフラーに穴があいていて暴走族みたいなエンジン音がしたり、ハンドルに割れ目があってあとでまっぷたつに割れてしまったり、ちょっと長い距離走るとオーバーヒートを起こしたり。動いているのが不思議なくらいの車だったが、ぼくにとっては自慢の愛車だった。


ある日、アパートの大家さんのおばあちゃんを病院へ送ってあげた。


おばあちゃんの足腰が弱っていて、ほんの300メートルの距離を歩くことができず、かといってタクシーを呼ぼうにも1メータだと運転手に嫌な顔をされる。


車をもっていない大家さんが困っていたので、
  「よかったら病院までお送りしましょうか?」
ということになったのだ。


「ありがとねー、ありがとねー」とおばあちゃんに感謝され、「良いことしたなぁ」と思っていたところ、大家さんの奥様から「お礼」を渡された。


「大家さんのご厚意で駐車場を無料で使わせてもらっているのですから、どうかお気を遣わずに」とおことわりしたのだが、「そう言わずに」「気持ちだけだから」と言われて受けとった。


自室にもどって封筒をあけてみると、中に小銭が入っていた。
330円だったか380円だったか正確には覚えていないが、当時のタクシーの初乗り料金の金額だった。


不快感がこみあげてきた。


お礼をするのだったら、しかもわざわざ封筒に入れるのだったら、せめて千円札にすべきだ。


タクシー料金相当というのは、感謝を伝える金額ではない。


好意でしたことが、ただのアルバイトのように扱われた……。
ぼくの真心をふみにじられたように感じた。


それからは、人にお礼をすることに慎重になった。


おざなりの品物や金額をわたすくらいなら、いっそしない方がいい。
わずかなお金で人を動かそうとする「インセンティブ」なんか大嫌いだ!


もう30年以上もこの事件を引きずっていたのだが、本書を読んで「インセンティブってけっこういいかもしれない」と考えをあらためた。


考えをあらためた理由は、著者がインセンティブが万能ではないと言っていたからだ。


本書の第1章には、

インセンティヴは手の込んだ飛び道具で、いつも思ったとおりの働きをするとは限らない

と注意が書かれていて、お金をインセンティブに使って失敗した例がいくつも紹介されている。


ある保育園で、子どもを迎えにくるのが遅れる人を少なくしようと思って罰金を導入したところ、遅れてくる保護者が大幅に増えたそうだ。
それまでは保育園に迷惑をかけないように気をつかっていた親たちが、どうどうと遅刻して罰金を払うようになった。


罰金というインセンティブ(この場合はマイナスのインセンティブ)は、罪の意識に訴えるよりもずっと効果が薄かったのだ。
しかも、罰金をやめても遅れてくる保護者の数は増えたままだったというオチも付いている。


別の事例で、募金を集める人に報酬を与える実験をしたところ、募金額がいちばん多かったのが「報酬ゼロのグループ」だった、という実験結果も登場する。


2番目に募金が集まったのが「報酬額が募金総額の10%」のグループで、募金額が最低だったのが「報酬額が募金総額の1%」のグループとのこと。


そうか。ぼくが学生時代に感じた不快感は、この実験の結果と同じだったのか!


行動経済学って、おもしろそうだぞ!


期待どおり、第2章からも興味深い実験結果がならんでいる。


どれも「へぇ〜」という内容なのだが、中学生の子どもを持つ親として見逃せない実験をひとつ紹介させていただく。


それは、学校の成績にインセンティブを導入するとどうなるか、という実験だ。


貧富の差の大きいアメリカでは、貧しい家の子どもは貧しいままになってしまうことが多い。


貧しさから抜け出すために教育を受けようとしても、学校が荒れていたり、保護者も周囲にも犯罪者が多かったりしていて、落ち着いて学校に通えない子どもたちも多いという。


成績が上がらずに中退したり非行にはしる子どもたちを少なくするにはどうすれば良いか、という難しい問題に対し、著者は実験を提案した。


授業を休まず、2日以上の停学にならず、全部の授業でC以上の成績を取ったら50ドルあげる、という実験だ。


実験は大成功で、中3で受ける標準検定試験の合格率を上げることができた。
とくに落第寸前の生徒たちは約40%も合格者が増えたという。


しかも、勉強する習慣のついた子どもたちは、ご褒美がなくなっても勉強しつづけるようになったのだ。


教育にインセンティブを導入することに懐疑的な人もいたが、いろんな種類の実験を行った結果、次のようなことが証明された。

子どもたちはご褒美に反応する。でも、行動科学に基づく手口を使えばより大きな反応が得られる。テストでいい成績を取りなさいと20ドル渡し、成績が上がらなかったら返してもらうからねと脅すほうが、生徒たちの成績はずっとよくなる。
 同じように、先生たちが(a)チームを組んで働き、かつ(b)一度は手渡したボーナスを返してもらうかもしれないと脅されると、生徒たちの成績は大きく改善し、実質的に教育格差は埋まってしまった。


そうか。
成績が上がればご褒美をあげる、というのもアリなんだ!


我が家でも実験してみようかなあ(笑)



このほか、ぜんぶで11章にわたって興味深い実験が行われている。


それぞれの実験と結果のおもしろさはさておき、この本で一番おどろいたのは、貧困と差別をなくすためにほとんどの実験が実施されている、ということだ。


貧乏な家の子が大きくなって貧乏にならないようにするにはどうしたらいいのか、
女性の収入が男性より少ない現状をどうすれば変えられるのか、
人々にもっと多くの寄付をしてもらうにはどうすればいいか、
など、社会正義を実現することが実験の目的になっているのだ。


自分の利益を優先する社会のように思えるアメリカで、なぜ社会正義に真剣に取りくむのだろう?


「そんなことは当たり前」ということなのか、この本のテーマからはずれるからなのか、著者はぼくの疑問にこたえていない。


ひとつぼくが想像したのは、共著者のひとりジョン・リストがエリート校出身でないことが理由のひとつではないか、ということだ。


本書の「まえがき」には、ジョンが差別に直面した体験が書かれている。


何件かの実地実験をやりとげ、博士号をとって仕事探しをはじめたとき、150件も応募したのに採用面接までたどりついたのは1件だけだった。


ところが、ほとんど条件の変わらない人たちが40件の応募で30件の採用面接に呼ばれたそうだ。


違っていたのは、ジョンが博士号を取ったのがワイオミング大学で、多くの採用面接に呼ばれた人たちが博士号を取ったのがハーヴァードやプリンストンなどの「ブランド」校だったことだ。


だからといって、ジョンは「おまえらぶっ殺してやる!」なんて言わなかった。


学者らしく、「毛嫌いや悪意以外にも差別の原因がある」ということを行動経済学の多くの実験で証明した。


本書の「はじめに」に次のように書かれている。

人の振る舞いの背後にある隠れた動機は何か、どうすればぼくたちみんなが自分自身や会社、お客、そして社会一般に、よりよい結果をもたらせるか、新しい理解のしかたを身につけてくれたらいいと思う。


ぼくもそう思う。