ぼくは眠れない


著者:椎名 誠  出版社:新潮社(新潮新書)  2014年11月刊  \778(税込)  195P


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35年間も不眠症で苦しんできたことを、人気作家、椎名誠氏が初めて告白した本である。


僕自身は「眠れない」という経験をほとんどしたことがないので、不眠症の本を手にする機会はなかったが、他ならぬシーナさんの告白とあれば読まないわけにいかない。


おかげで、奥深い不眠症の世界をかいま見ることができたので紹介させていただく。


著者の椎名誠氏は1944(昭和19)年東京都生まれ。
会社員をしながら1979年に出版した『さらば国分寺書店のオババ』がベストセラーになり、売れっ子作家になった。


作家に専念しようかとも思ったが、会社をやめてフリーランスになると何の保証もない。


いっぽうで、当時の社長は
  「やがて自分のあとを継いで社長になりなさい」
と言ってくれている。


どちらにしようか悩むうちに、気がつくと夜更けにガバッと起き、そのまま眠れない毎日を送るようになっていた。
迷いと不安から、不眠症の世界にさまよい出てしまったのだ。


けっきょく36歳で15年つとめた会社をやめたのだが、それからずっと椎名氏は不眠症との長いつきあいを続けている。


会社をやめるかどうか、という迷いから解放されたのだから、もう不眠に悩まされることはないはずなのに、

一度やってしまうと「不眠」というのはかなり自虐的にここちよいところがあるのだ。

となってしまった。


遅くまではたらいている出版人は、夜11時すぎでも平気で自宅に電話をかけてくる。
さすがに午前3時すぎにマンガ雑誌の編集部から電話がかかってきたとき、「うるさい。いまの時間を見ろ!」とキレたこともある。


知らずしらずのうちに寝入るのが遅くなった。


会社員時代は、始業時間に会社にいかなければならないから、そんなに遅くまで起きていることはなかったし、週末の自由時間で体の疲れやストレスを解消してエネルギー充足することもできた。


専業作家なってからは、夜遅くまで原稿を書いたあと、フル回転していた脳を静めるためにビールなどを飲んだ。そのまま寝てしまえばいいのに、ついついさっきまで書いていた原稿をパラパラめくっていると、気になったところを見つけてしまって手を入れたくなってしまう。
疲れたまま朝をむかえ、犬の散歩のあと午後まで寝ている日が多くなった。


昼夜逆転でも、同じサイクルならよかったのだが、FM番組の録音や出版社からの打ち合わせがある日は、午後まで寝ているわけにいかない。
不規則な生活が不眠症を深めていくが、あとでふり返ると、これはまだほんの初期段階だった。


不眠症はなかなかやっかいな病気で、深刻化することもある。


著者の知り合いの編集者は、不眠症がきっかけになって不幸な事故にみまわれたそうだ。


不眠と抑鬱を治療するため、都内の精神科医院に入院したFさんは、患者の脳を3週間ぐらい睡眠状態もしくは睡眠に近い状態に置く“持続睡眠療法”という治療を受けた。
大量の睡眠薬精神安定剤を与えられて過ごしていたところ、朦朧とした状態の中でベランダから転落し、首の骨を折ってしまった。


おかげで、首から下がまったく動かなくなったのだが、もとはと言えば不眠症がきっかけだったのだ。


ここで椎名氏は、

「人間にとっての睡眠の意味とはいったいなんなのだろう。
そもそもなんのためにヒトをはじめとした殆どの生物は睡眠をとるのだろうか」

と、睡眠についての先人たちの研究をレポートしはじめる。


生き物のなかで睡眠時間が最も少ないのはウマ(2.9時間)で、次にゾウの3時間、ウシの4時間、キリンの4時間半と続き、ヒト(人間)は平均睡眠8時間で5番目に短いそうだ。


井上昌次郎著の『ヒトはなぜ眠るのか』という本には、眠りが必要な理由を次のように説明している。(孫引きさせていただく)

「もともと、睡眠は適応のための技術です。さまざまな身体内部および外部の環境条件に合わせて、脳をうまく休息させ、よりよく活動させるための柔軟な生存戦略です。(中略)しかも、眠ることは筋肉を弛ませる。意識レベルを下げる、栄養補給を断つなどの危険を伴う“命がけ”の行為です。それだけに、睡眠中のアンゼンが確保できる条件を整えてからでないと、眠るわけにいかないというのが生き物の鉄則です」


本能行為のひとつなので、食欲、性欲などと同じく「快感」が伴うはずなのに、眠れないとこの「快感」が得られない。
経験した人にしか本当のつらさは分からないし、不眠症の人にも重い人、軽い人がいる。


主治医に「軽度のあまったれ不眠症」と言われる椎名氏でも、睡眠薬とのつきあいは約20年にわたる。
自分の体の反応を見ながら、ちがう系列の睡眠薬を飲みわけることができるようになるまでに、ずいぶん時間がかかった。


70歳になって、

「こうやってあと残りの人生を気負いなく生きていければいいや」

という心境になってきた。


今働き盛りの若いひと、壮年の読者たちの苦しさを解決してあげたいが、自分のために読んできた「不眠打開、不眠解消」などという本のなかに、有効回答になったものは一冊もなかった、とのこと。


ただ、自分の経験と睡眠についての学習レポートを書いた本書には、

「それぞれの人によって理解や解釈の違うタタカイのヒントになるようなものに触れてきた」

と言っている。


あとは、それぞれ工夫するしかない、という正直さがいい。


椎名氏のむかしからのファンとして、全く縁のない不眠症の世界をのぞかせてもらった。


家族や知り合いに不眠症の人がいる方には、少しだけ不眠症のつらさを理解するたすけになると思う。


もちろん、不眠症の人には、何かヒントを与えてくれるかもしれない一書である。