いのちの姿


著者:宮本 輝  出版社:集英社  2014年12月刊  \1,296(税込)  181P


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小説家の宮本輝が久しぶり(たぶん13年ぶり)に出したエッセイ集である。


宮本輝は「希代のストーリーテラー」と評される。
よく考えると現実にはあり得ないようなストーリーなのに、読者が気づかないうちにどっぷりと物語世界に引き込んでしまう力量を持っている作家なのだ。


この本はエッセイだから、架空の人物やできごとは出てこない。しかし、エッセイに書かれていることは、宮本輝の小説と同じくらい珍しい内容ばかりである。


はじめのエッセイの題名は「兄」。
さっそく次のような風変わりな体験が書かれている。


宮本輝には、会ったことのない兄がいる。
母が最初の結婚でもうけた子どもで、離婚するとき生涯二度と会わない約束をしたという。


母が「兄」と再会することなく他界したあと、宮本輝はとある知人の病気見舞いのため神戸の病院をおとずれた。
見舞いを終えたあと、しばらく病院近くを歩いていて、そこが母の最初の嫁ぎ先住所と同じであることに気づいた。


母から聞いていた「珍しい姓」を思い浮かべ、まさかと思いながら表札を1軒ずつ目で追ってみたところ、その珍しい姓が書かれた表札に行き当たった。


いったん立ち去ったものの、「兄」と自分がどれくらい似ているのか顔を見てみたくなった。


怪しまれないように注意しながら、その家の前を何度も行ったり来たりして、もうやめようと思ったとき、犬をつれた初老の男が出てくるのに出くわした。


顔は見えなかったが、年かっこうからみて「兄」にちがいない。


ここで宮本輝は、予想外の行動に出る。


散歩する犬に引っぱられていく男に向かって、「○○ちゃーん」と「兄」の名前を呼んだのだ。そして、もうひとつ予想外の行動をとる。


その人が振り返ると同時に、なんと走って逃げたのだ。


そのあと、よけいな描写を加えることなく、

私が再びその家の前に立つことは決してあるまい。

と結んだ。


はじめて「兄」を見た宮本輝はどんな感慨を抱いたのか。
だれもが抱く疑問の答えをあえて書かずに、余韻を残している。



「書物の思い出」も宮本輝らしい一編だ。


多くの小説家とおなじく、宮本輝も中学生のころからむさぼるように小説を読んできた。

中学二年生から大学一年生になるまでに読んだ小説のすべてを列記すれば、それだけで紙数が尽きてしまうだろう。

というほどの量を読んでいたのに、大学の硬式庭球部に入部して練習に明け暮れするようになってから全く読まなくなった。


それでも27歳までに完読した本が3冊あり、宮本輝は小説から遠ざかっていた時期に出会ったこの3冊の思い出を語っている。


ここでは、3冊のうち井上靖著『崑崙の玉(こんろんのぎょく)』の思い出を紹介させていただく。


『崑崙の玉』は函入り布製の立派な装丁で、当時としても貴重な造本だった。
友人から借りて読了し、友人に返したあと自分のために書店で買いなおすほど気に入った。ずっと大切にしていたのだが、阪神・淡路大震災で失くしてしまったそうだ。


中国の西域について書かれた井上靖の作品は、『敦煌』や『楼蘭』のほうが有名で評価も高いが、宮本輝にとっては『崑崙の玉』が一番である。


後年、酒の席で井上靖と同席したとき、『崑崙の玉』が気に入っていることを強調し、

これさえ読めば、氏の他の西域物は読まなくてもいいと思う。

と言い切った。


大先輩に叱られる覚悟で言ったのだが、井上靖は優しく笑いながら、「宮本さんがそう仰言(おっしゃ)るのだから、きっとそうなのでしょう」と許してくれたそうだ。



パニック障害がもたらしたもの」には、著者の闘病体験が語られている。


25歳の5月に、得体のしれない精神性疾患に苦しむようになってから、電車に乗れなくなって小説家をめざすことになったこと、
やっと作家として認められた矢先に肺結核になったこと、
結核が治ったら、かつてなかった発作に襲われ、不安神経症と診断されたこと。


病気との長いつきあいを語る一編は23ページにわたっていて、本書のなかで最も読みごたえのある内容だった。



長短あわせ14編を載せたあと、久しぶりにエッセイを書くことになったいきさつを、「あとがき」で明かしているのだが、この短い文章も味わい深いエッセイに仕上がっている。


小説に専念するため、宮本輝はある時期からエッセイを書かなくなった。懇意にしている編集者が熱心に依頼してきても、すべてことわってきた。
ところが、2007年の春。思わぬ人物からエッセイを依頼されてしまう。


京都の高名な料亭の大おかみと食事したとき、料亭からエッセイ誌を出す
という夢を実現することにした、と打ち明けられたのだ。


年に2回しか出さないので、書いてもらいたい。
「うん」と言うまでは、あきらめない。
仕事の邪魔になることを承知のうえで、毎日電話をかけつづける、と大おかみは宮本輝を半ば脅迫した。


出版の素人が出すエッセイ誌なのだから、どうせ3号くらいで廃刊になるだろう、と考えて「うん」と返事をした。


予想ははずれ、3号が出ても、4号が出ても廃刊されるようすがない。
お客様が楽しみに待っていると言われ、しかたなく書きつづけているうちに、宮本輝はエッセイを書く楽しみを思いだした。


はじめは適当な時期に逃げるつもりだったのに、「エッセイというものの滋味深さをあらためて教えられ」、気がついてみると、7年間も連載をつづけてきた。


エッセイ誌を目にした集英社の編集者が強く勧めてくれ、単行本にまとめることになったのが本書である。


大おかみの心づくし。
高名な料亭のお取りよせを召し上がれ。

余談その1


「書物の思い出」で取りあげていた3冊は、文学的空白の期間に、宮本輝に舞い込んできた数少ない書物である。
しかも、3冊とも人生の試練に立たされていた時期と重なった。


『崑崙の玉』を友人から借りたのは、仕事を辞めて小説家を目指したものの、なかなか芽が出ずに、もう一度就職活動を始めるしかないところまで追い込まれていた頃だった。


思い入れのあるこの小説を、宮本輝は次のように絶賛している。

『崑崙の玉』を読んでいると、長遠な歳月のなかの人間というものが見えてくる。鋭利な刃のような叙情は、井上靖以外には決して書けない世界だということもわかってくる。余人が真似て真似られない文章なのだ。


これは、読むしかない!


ところが、「書物の思い出」にも書いてある通り、この本は絶版で手に入らない。
しかたなく地元図書館の蔵書検索機能で探したところ、井上靖全集第7巻に収録されていることがわかった。


貸し出しを受けて読んでみたが、
「これさえ読めば、氏の他の西域物は読まなくてもいいと思う」
というのは、少しおおげさではないか、と感じた。


確かに、井上靖の西域物に共通する悠久の時間への感慨、たかだか数十年の人間の一生のはかなさを感じさせる小説だった。


しかし、歴史のなかでたとえ一瞬のように見える人生でも、全力で人を愛し、やるべきことをなそうとした人間がいた、という感動を与える点で、僕はむしろ『敦煌』を推したいと思う。

余談その2


『崑崙の玉』を読み終えたころ、この物語の舞台となった黄河の源流域を旅するドキュメント番組の放送を知った。


黄河の源流域にある「星宿海(シンスーハイ)」へ旅する番組「星の生まれる海へ 〜黄河源流への旅〜」である。(番組内容の紹介はこちら


よし、見よう! 録画して永久保存版にしよう! と思ったのだが、よく見ると、

12月27日(土)夜7:30-9:00、28日(日)夜9:00-10:00
NHK BSプレミアムにて放送

と書いてある。


え〜、地上波じゃないの〜。


BSアンテナを付けていない我が家では、見ることができなかった。
トホホ……。