シャバはつらいよ


著者:大野 更紗  出版社:ポプラ社  2014年7月刊  \1,404(税込)  217P


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2011年に出版された大野さんの初めての本『困ってるひと』には驚いた。


難病にかかって困っている様子を書いているのだが、ほかの「闘病記」が発している暗さやしんどさがまったく感じられない。最初に「絶望は、しない」と宣言しているし、痛みも苦しみもあけっぴろげに表現している。


途中で一度も暗い気持ちにならず、300ページ超を一気に読み終えてしまった。


これはすごい!


すこしでも応援したくなった僕は、読書ノートに書いた。

生きていくためのお金を自分で工面しなければならない著者のために、もっともっと売れろーーー! と僕は叫びたい。20万部、30万部、いっそ100万部を超えて、億単位の印税収入があれば、安心して闘病生活を送ることができるだろう。


年末のメルマガで僕の2011年度ベストワンに決定し、中島岳志氏と
小田嶋隆氏の書評の一部を、次のように引用させてもらった。

  • 『困ってるひと』の帯に推薦文も寄せていた中島岳志氏の書評

 突然難病にかかった著者は、制度と闘い、自分と闘う。人間はいつ深刻な病にかかるかわからない。人は平等に「困っているひと」になりえる。困難を受け止め、時に状況を笑いに変えながら、知的に前に進もうとする大野さんの姿は、他者への想像力を喚起する。傑作だ。
          (12月25日朝日新聞書評欄より)

 ベストセラーには2種類のパターンがある。面白い本と話題の本だ。
 前者は面白いから売れており、後者は売れたことを理由に面白いと判断されている。大差が無いように見えるかもしれないが、実際に読んでみると両者の違いは明らかだ。
 比率は半々。つまり、面白くもないのに売れている本が半数を占めているということだ。なんとういことだろう。本屋はゴミ溜めなのだ。
 (このあと、3冊のベストセラーをこきおろしたあと)
 『困っているひと』は、今年一番の収穫。本書をどんなふうに褒めるのかで書評家の腕がためされるテの、すこぶる付きに刺激的な書物だ。その意味で、緊張を強いられる。
 難病に襲われた女子大学院生が(※中略)脱帽平伏。まったく恐れ入るほかない。
     (SIGHT (サイト) 2012 WINTER VOL.50 小田嶋隆のベストセラー解読「万巻一読」2011年総集編 より)


 ※『困ってるひと』の僕のレビューは→ こちら
 ※2011年度ベストワン発表は→ こちら


僕の願いが通じたのか、『困ってるひと』は20万部を突破して、エンタメ闘病記の金字塔となった。


本書『シャバはつらいよ』は、この金字塔の続編。
病院を出て、ひとり暮らしをはじめてからの厳しい日々がつづられている。


前作とおなじく、著者の大野さんはサービス精神たっぷりに明るく闘病生活を語ってくれているのだが、やはり難病をかかえてシャバで生きていくのはたいへんだ。


第1章は、いきなりお金の話からはじまる。
通称「特定疾患」制度を使っているので、入院費は月額23,100円に制限されているのだが、このほかにもいろいろお金がかかる。


インパクトの大きいのが「差額ベット代」で、100パーセント自己負担。著者が入院していた病院は安いほうだったというが、それでも1日2,625円で月額8万円を超えていた。


このほか、洗濯機代、乾燥機代、テレビカード代、行政手続きのための書類発行代、病衣のレンタル代などを含めると、病院の会計は毎月約12万円になってしまう。


入院費の会計を済まし、最後の夕食を食べ、薬局で山のような薬を受け取り、いよいよ619号室を出る。


エレベータの前まで主治医の先生と、その上司の先生が出てきて見送ってくれたが、世間一般でイメージされているような拍手も花束も、涙も感動も特になく、静かに病院を出た。


車で送ってくれた両親を新居の入り口で返したあと、最初の関門に出会う。
部屋の前まできたところで、鍵をリュックから取り出すために腕にかかえると、筋力が落ちているので廊下の床にのめりこんでいきそうに感じた。


気合いだ! と鍵を取り出してダブルロックを開錠したものの、あまりの重さにドアが開かない。引いても、押しても開かない。


腕の力だけで開けようとするからいけないのかもしれない、と今度は体を重りにしてドアを引いたところ、やっと開いた。


こうして2章かけて自宅にたどりついたあと、さまざまな試練と闘いながら、シャバでの生存闘争がくり広げれらる。


ヘルパーさんの手配、近所のコンビニへの遠征、電動車椅子の購入申請、右腕にできた新たなピンポン玉大のこぶの治療、……。


なかなか大変なシャバ生活を送っているなかで、ツイッターを糸口にして、新しい世界が開けてくる。


近所の大学に通う別の難病患者と会って元気をもらったり、「ホームページ作りたい……」とつぶやいたら、手伝いを申し出てくれる人が現れたり、評論家の荻上チキ氏から取材の申し込みを受けたり、洋服を買いに連れて行ってくれる女性が現れたり。


しかし、やさしい言葉をかけてもらうと、はじめは反射的に身震いしてしまったそうだ。
入院していたころ、親友や大学の友人たちのやさしい言葉に甘えて、さまざまなヘルプをお願いしていたことがあるのだが、あるとき、「もう無理だと思う」と、これ以上サポートできないことを告げられる。


善意を真にうけて頼りつづけたことで、相手を疲弊させてしまった。こんなセリフをベッドの上の重病人に対して言わないといけないという、ギリギリのところまでみんなを追いつめてしまったのだ、という後悔がよみがえる。


しかし、ツイッターで知り合った新しいサポーターは、そんなに重荷に感じていない。


「何かあったら、いつでも言いなさい」と言ってくれた、ある写真家のおじさん。返事をしないでいると、数日後「何かないのか!」とせっつく。
「大人として何もできないというのは沽券に関わる」と書いてあるので、久しぶりに行きたかったお店に連れていってもらった。


ほかにも、一か月か二か月に一度くらい、ふらっとやってきては「お手伝い」をしてくれる不思議な関係の婦人もいる。「友達」ともちょっと違うし、「知人」というわけでもないのだ。



前作と同じように、つらいはずの闘病生活を笑い飛ばしているように見える著者だが、今回は、つらい胸のうちを、ストレートに「つらい」と言っている箇所もある。

 どうして、先の見えない苦痛に耐え続けなければならないんだろう、どうして、こんなに疲れて痛くて苦しいんだろう、どうして、わたしだけがこんな思いをしなければならないんだろう、どうして、どうして。誰にも、わかってもらえない。わかってもらえるはずがない。

 暴走機関車のように突っ走ってきたのに、急に、石炭が枯渇したようにパッタリとエネルギーが切れた。
 病院の中で感じた思いが、ふたたびよみがえってきた。
「わたしなんて、生きてる意味、ないんじゃないかな」


でも、著者はいつまでも泣いていない。


病気のためにミャンマーの研究を続けられなくなり、現地で集めた資料やミャンマー語の教科書を処分しながら、「うわああああん」と声をあげて泣いたあと、こんどは社会保障システムを研究してみたくなる。


2年後、某ミッション系私立大学の大学院に入学することになり、入学式で学長の話を聞きながら「人生、わりと流されてるな……」と思った。


ミャンマー研究が自分の運命だと思っていたくせに、気がつけば方向転換していた。


「われながら意外と、精神がずぶとかった」と評しながら、著者は言う。

 わたしなんて、生きてる意味ないんじゃないかなと、今でもよぎることはある。そんなとき、別な、新しいわたしが、
「まあ、もうちょっと流されてみても、いいんじゃない?」
 と告げる。


今度の本も、もっともっと売れろーーー! と叫びたい。