悟浄出立


著者:万城目 学  出版社:新潮社  2014年7月刊  \1,404(税込)  206P


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中国古典の脇役が、もし主役になったらどうなるか? という趣向で書かれた5遍の短編集である。

書名にもなっている第1遍「悟浄出立」では、いつも孫悟空の脇役にまわっている沙悟浄が主人公として登場する。
第2遍「趙雲西航」では、三国志演義の五虎大将軍で最も影のうすい趙雲が、
第3遍「虞姫寂静」では、項羽の愛人として知られる虞美人が、
第4遍「法家孤憤」では、秦の始皇帝の暗殺に失敗したことで知られる荊軻(けいか)と同音の名を持つ京科という役人が、
第5遍「父司馬遷」では、跡継ぎの兄と違って期待も教育も施してもらえなかった司馬遷の娘「栄」が、それぞれ主人公を演じている。


5人の主人公は、それぞれ心に鬱屈をかかえている。


ふだんから注目を浴びなれている主人公とちがい、いつも二番手を演じている。


けっして二番手に満足し、甘んじているわけではない。
自分だっていつか主役になる日を念じているはず。ならば、いつもの脇役を主人公にした物語を語ってやろうじゃないか。

とはいっても、有名な物語のストーリーを変えてしまうのは御法度だ。たとえば、孫悟空がガタガタ震えているのを尻目に、沙悟浄がバッタバッタと妖怪をなぎたおす物語を作るのは簡単だが、それでは安易すぎるし、もはや西遊記とはいえない。


活劇で活躍する代わりに万城目氏が主役の沙悟浄に与えた役割は、自虐的に考えることだ。


妖怪につかまって縛られたあと、沙悟浄は、どうしていつも同じ間違いをしてしまうのかと考える。


猪八戒が妖怪のわなにはまるような油断をするのを止められず、つい自分も油断してしまう。まんまと捕まったあと、「だから言わんこっちゃない」と思うが、それを口に出すこともしない。


「俺はいつからこうも力なき傍観者となり果てたのか」と醒めきった己の心に呼びかける。


あるとき、どうしようもない愚物と思っていた猪八戒が、かつて天界で名将と呼ばれた経歴を持っていることを知った。


天の川水軍を率い、連戦連勝だったという。


その名将がなぜ天界を追放されてしまったのか。
ブタの姿に変えられても、なぜ三蔵法師や悟空と旅をしているのか。


いつも考えるだけだった沙悟浄猪八戒の心情を聞き出すという「行動」を起こしたとき、沙悟浄の中で何かが変わった。


ニヒリスト沙悟浄が新たな一歩を進めようと考えた理由とは……。


いつも脇役を演じている主人公たちの心の奥底を描くという、このおもしろい思いつきは、どこかで聞いたことがある。


沙悟浄の繰り言を読んでいて、僕が思い出したのは中島敦の短編『悟浄歎異』だ。


「沙門悟浄の手記」と副題のついたこの小説も、沙悟浄の独り言がつづられている。


いっしょに旅をしている悟空のすばらしさを褒めあげ、
「とにかく、今のところ、俺は孫行者からあらゆるものを学び取らねばならぬのだ。他のことを顧みている暇はない」
「遠方から眺めて感嘆しているだけではなんにもならない」
と意欲を見せる。


作者の中島敦自身も、文学者として主役(プロ)になりきれないもどかしさをかかえた作家だった。


1933年に東京帝国大学国文学科を卒業しながらも、卒業後は女学校の教師の道を選び、作家デビューした1942年の12月に33歳の若さで死去した。


高校の国語教科書に取りあげられた「山月記」では、自分の才能を発揮しきれないまま虎になった主人公に、次のように語らせている。

しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することも潔しとしなかった。


中国の歴史を材にとり、主人公の心の葛藤を描いた中島敦の作品の中に、本書にも関係する小説がある。


中国前漢時代の「李陵」という将軍の名前を題名にした中編で、敵に寝返ったと中傷された李陵将軍と、李陵をかばったおかげで宮刑(去勢)にされてしまった司馬遷を描いている。


人間として、男として最大の屈辱に耐えながら、司馬遷は父の代から書きつづられた歴史書の完成に全力をかたむける。


中島敦は、作中で次のように司馬遷に言い聞かせた。

修史の仕事は必ず続けられねばならぬ。(中略)修史の仕事のつづけられるためには、いかにたえがたくとも生きながらえねばならぬ。


『悟浄出立』の第5遍「父司馬遷」には、やはり宮刑にされたあとの司馬遷の苦しみが描かれている。


屈辱的な刑罰を受け入れてまで生きながらえたものの、歴史書の執筆を再開できずに葛藤している司馬遷の背中を押したのは、娘の「栄」であった。


かつて兄たちが父から学問の手ほどきを受けるなか、妹の「栄」は女だからという理由で相手にしてもらえなかった。


父の仕事に近寄ることを許されなかった「栄」だけが、宮刑を受けた父から他の家族が離れていくなか、父と話をしようとする。


後に偉大な歴史家とたたえられることになる司馬遷だが、このときは歴史書執筆の意欲が失われてしまったように見える。


司馬遷を動かすことで、歴史の“主人公”となった「栄」が取った行動とは……。



沙悟浄司馬遷という共通の主人公が登場し、脇役がもし主役になったらどうなるか? という切り口も近しい。


万城目学氏が意識していたかどうかは分からないが、本書は、中島敦へのオマージュになっている。