社会の抜け道


著者:古市憲寿 國分功一郎/著 速水健朗/構成
出版社:小学館  2013年10月刊  \1,836(税込)  254P


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TBSラジオで2ヶ月に1度放送している「文化系トークラジオ Life」という深夜放送がある。
僕は深夜1時からの放送をナマで聞くほど夜更かしできないので、ポッドキャストの配信音声をダウンロードして聞いている。


社会学者の鈴木謙介氏(愛称「チャーリー」)が司会を務め、「マイルドヤンキー限界論」、「超絶!ポエム化社会」、「勉強し続ける社会」などの社会時評サブカルチャーに関した話題を批評家、ライター、編集者、哲学者、ジャーナリストなどのゲストたちが議論する。


聞いていて、毎回のように感心するのが、「どんなテーマでも、よくポンポン意見が出てくるものだなぁ」、ということ。ポッドキャストを倍速で聞いているせいかもしれないが、いつ聞いてもよどみのない早口言葉を聞いているときのように、心地よい疾走感を感じさせてくれる。
まぁ、それだけ言ってることがよく分からない、ということでもあるが(汗)。


この本が出版されたことを知ったのは、『社会の抜け道』刊行記念スピンオフ・トークイベントの音声が「Life」のポッドキャスティングで配信されたからだ。著者の古市氏、國分氏と、この本の構成を担当した速水氏が、「Life」の番組さながら、ものすごいスピードで話題を展開していく。


この回のポッドキャスティングも、ひとつひとつの話題には付いていけるのに、聞き終わってみれば、「よく分からなかった」という不満足感がこみ上げてきた。
聞いているだけでは、いつまでたっても分からないままなのではないかと思い、ともかく読んでみることにした。


ということで、今回取りあげるのは、この「Life」というラジオ番組に何度も登場している古市憲寿氏(社会学者)と、國分功一郎(哲学者)が1年数ヶ月かけた対談の記録である。


「Life」のポッドキャスティングを聞いているときと同じように、本のなかでどのテーマもテンポよく2人の対談が展開されていく。活字で読めば少しは分かりやすいと期待したのだが、ムムムッ! 今回もなんだか分かりにくいぞ!


読みはじめてすぐにつまずいたのは、そもそも「社会の抜け道」という題名が何をさしているのか、ということだ。


古市氏が書いた「まえがき」では、次のように本書のテーマをとらえている。

 本書に収録されているのは、この社会のオルタナティブを探る二人の思考の軌跡だ。
(中略)
 本書では「世界規模の何か」に囲まれた僕たちが、いかに生きていけばいいのかということが繰り返し話し合われている。


一方で、「あとがき」を担当した國分氏は次のようなまとめを書いている。

 社会が水漏れを起こしているのは、社会システムには必ず取りこぼしがあるということであり、いい換えれば、システムに抜け道があるということだ。(中略)実際、現場を見ながら話しをすることで、いくつもの水漏れ、抜け道が見えてきたのである。


そうかなぁ。カジュアルそうな口調で小難しいことを述べたてる2人の会話に「いかに生きていけばいいのか」とか、「いくつもの水漏れ、抜け道」が含まれていたのかなぁ……。
僕の読解力が足りないようなので、内容紹介しながら2人の議論をもう一度追いかけてみることにしよう。


第1章は「IKEAとコストコに行ってみた」。
消費のテーマパークともいえる新三郷ららシティに出かけ、消費社会に距離を置く國分氏に「丸一日過ごせてそこそこ楽しい」体験をしてもらおう、という趣向だ。


いっしょにIKEAめぐりをした感想を尋ねられ、國分氏は「まずね、楽しかったよ」とプラスの評価を述べたあと、「全く計画性がなくブラブラ来た人は無駄に買わされるだろう」とマイナス評価を口にする。
楽しめる人はそれで良いが、買いものリテラシーが高くないと変なものを買わされて「非常に強い不満足や退屈感をつくり出す場所になってしまう」、というのだ。


IKEAでの買いものするときは買いものリテラシーを高めておかないと危ないって、そんなこと考えながら買いものしてたら楽しくない!


しかし、
  「消費」と「浪費」を区別すべき
とか、
  消費社会は浪費の可能性を奪っているのではないか
という主張を別の本に書いている國分氏は、IKEAとコストコに行っても、ついつい分析したり考えたりしてしまう。


このあと北海道ではセイコーマートが圧倒的に強いという話題から、人口規模を考えると北海道はヨーロッパの一つの国みたいなもの、と2人の話はどんどん展開していく。
古市氏が「僕が留学していたノルウェーと北海道の人口規模が近い」と言えば、國分氏が「去年デンマークコペンハーゲンに行ったら、すごく生活の満足度が高かった」ことを語り、古市氏が「ノルウェーもそうです」と合いの手を入れてノルウェーのテレビ番組に海外のコンテンツが多いことを紹介すると、國分氏が「フランスのテレビもそうだよ」と返し、今度は古市氏が……。


海外経験の自慢話をしているようにも聞こえるが、いやぁ、続くこと続くこと。「口から先に生まれる」という喩えは、こういうことを指すのだろう。


海外話はもう少し続き、ノルウェーで起こった移民排斥を訴える若者による銃乱射事件、移民比率の高さ、労働時間の短さなどを話題にしたあと、ネトウヨとの比較等、日本社会の現状と比べてみたりする。
日本はものがあふれているようで実は選択肢が少ない、ほかのディズニーランドと比べると日本のディズニーランドはたぶん世界最高、買って捨ててを繰り返す消費社会システムは続いていかない、かといって「資本主義の終焉」と言い立てるのは古い左翼の誇大妄想に過ぎない……。


消費社会的なものは残っていくけど、それとは違う楽しみ方をする人々が現れる。そういう方向を目指していけばいい、と國分氏が区切りをつけてやっと第1章が終わった。


こんな調子で2人の対談は続き、繰り返される反近代運動やフーコーの権力批判と「新自由主義」について第2章で述べ、第3章で「デモと遊び」を、第4章では急にドメスティックに趣向を変えて「保育園の話」を、第5章で「理想社会と食の問題」を、第6章で「僕たちの『反革命』」について語り合って対談を終えた。


よくしゃべる2人の言葉を読んでいると、ひとつひとつの話題には付いていけるのに、読み終わってみれば、「よく分からなかった」という不満足感がやっぱり残ってしまった。
だが、それは2人の責任ではない。僕の理解力が足らなかったのだ。……たぶん。


「最近の若者たちは自分の周りしか見ようとしない。広い世間を知らない」とオジさん族は批判する。だけど、まだ29歳と40歳の2人の本を読んでいると、オジさんである僕のほうがよっぽど視野が固定しているんじゃないか、知識がかたよっているんじゃないか、と反省させられた。


眉間にシワを寄せたりせずに、もっと軽いノリで哲学や社会学に触れてみようと思う。