著者:諸富 祥彦 出版社:日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ) 2013年7月刊 \893(税込) 263P
ちょうど1年前、社内人事異動で職場が変わった。
それまでは、家族と晩ご飯を食べられる時間に帰れたのだが、新しい職場では、毎日おそくまで残業している人ばかりだ。
大量の仕事が僕にも割り当てられるようになって早く帰れなくなり、休日出勤も多くなった。
入社以来ずっとコンピュータに携わってきたので、担当するプロジェクトによっては残業が多いこともあったが、なんとか頑張って乗りこえてきた。
だが、僕ももう50代後半になって、今までのように無理はきかなくなったのだろう。
6月末に、とうとう張り詰めていた心の糸が切れてしまった。
仕事が辛くてつらくて仕方がない。
どうして、毎日、こんなに苦しいんだろう。
そう思っている時に、この本を手にした。
「あなたの その苦しみには 意味がある」
心をわしづかみにされたように感じた。
僕と同じように、何かで悩み、苦しんでいる人に向けて、本書を紹介したい。
著者の諸富氏は心理療法家(心理カウンセラー)である。
カウンセラーなので、日々、ありとあらゆる種類の悩みに耳をかたむけている。職場の悩み、家族の悩み、恋愛や結婚の悩み、孤独死への不安や、病の悩み……。
いままでカウンセリングしてきた経験をもとに、本書では、8種類の悩みについてどうやって悩み、苦しみと向かい合っていくか、読者と一緒に考えてくれる。
本書で取り上げているのは次の8種類の悩みである。
- 仕事の悩み―なぜ、私は、この仕事をし続けなくてはならないのか
- 人間関係の悩み―なぜ、私はあの人のことがこんなにも嫌いなのか
- 結婚と夫婦関係の悩み―なぜ、この人といっしょにいなくてはならないのか
- 子育ての悩み―なぜ、思うように育ってくれないのか
- 恋愛の悩み―なぜ、好きになってはいけないとわかっている人を好きになってしまうのか
- お金の悩み―なぜ、お金が貯まらないのか
- 病の悩み―なぜ、私はこの症状に悩まされなくてはならないのか
- 死の悩み―なぜ、死ぬのが怖いのか
どの悩みも、いざ当事者になると、どうしようもない苦しみにさいなまれてしまう重たい問題ばかりだ。
8種類のなかで、いま僕が苦しんでいる「仕事の悩み」が不思議と一番に挙げられていた。
初めは好きだったのに、続けていくうちに仕事がきらいになった人も、しかたなく嫌いな仕事についている人も、毎日の仕事が本当につらくなってくると、
「どうして、この仕事をしなければならないんだろう」
という疑問がわいてくる。
悩みが浅いうちはいいが、ここまで深刻になってくると、ポジティブ・シンキングでは解決しない、と著者は指摘する。
すべては物事の「受取り方次第」というポジティブ・シンキングでは、
「こんな仕事は、しないにこしたことはない。
けれど、この仕事しかなかったとしたら、やっていけないことはない」
と考え方を修正していこうとする。
考え方を変えるだけで心に効くならそれでもいいが、多くの場合、「あなたをさらに追い込むだけです」という。
むしろ、ネガティブな思いをネガティブなまま、口に出してつぶやくほうが良い。安心できる仲間に聞いてもらうのが一番だが、自分の愚痴を自分で聞いてあげるだけでも、生きるエネルギーが湧いてくる、というのだ。
しかし、現在の就活の厳しさ、就職してからの労働環境の厳しさは、常軌を逸している。
なかなか内定をもらえないばかりでなく、面接にたどりつくこともむずかしい。
何社も何社も落ちるなかで、自尊心はボロボロになっていく。
ようやく就職できたと思ったら、さんざんこき使われた末に、使い捨てのように解雇される、いわゆるブラック企業に当たってしまうこともある。
そんな若者に「どうして働かなくてはならないのですか」と問われたとしたら、どう答えたらいいのだろう。
著者の諸富氏は言う。
私なら、迷わず、こう伝えると思います。
「働かなくていい。逃げよ」
(中略)
とにかく、今は、逃げなさい。仕事を辞めなさい。
働き続けることで、あなたの心が傷つき、あなたが自分の人生を否定せずにいられないような状態になるのだとしたら、働いては、だめです。
そうなってしまったら、一生、取り返しのつかない心のダメージを負ってしまいます。
カウンセラーとして、自分を大切にせよ、と著者は訴えているのだ。
では、自分の人生を否定しないような「いい就活」「成功する転職」をするには、どうしたらいいのだろう。
著者は、言う。
もし、“私はただ、毎日、それをしているだけで幸せだと思える何か”があるのだとしたら、それを一生の仕事にしなさい。そして、何が何でもそれにしがみつきなさい。
年収や社会的な地位・名誉という外的な報酬よりも、それをしているだけで幸せ、という内的な報酬が大切だという。
なぜなら、人は、「仕事」を通して、みずからの「使命」を果していくものなのだから。
『夜と霧』で有名なビクトール・フランクルも、この考えを『それでも、人生にイエスと言う』の中で端的に語っている。
本書内の引用から、孫引きさせていただく。
一人ひとりの人間はかけがえなく代替不可能な存在です。誰もがそうなのです。一人ひとりの人間にとって、その人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められているものなのです。一人ひとりの人生には、その人にだけ与えられた「使命圏」が存在しているのです。
家計を支える僕が、「働かなくていい。逃げよ」と言われても、そのとおり会社をやめるわけにはいかない。
残念ながら、すぐに悩みを解決してくれる答えではなかった。
しかし、一歩下がって自分の悩みを見つめるきっかけにはなりそうだ。
仕事をやめずに、どうやって心のダメージを負わないように「逃げ」たらよいか。
毎日、それをしているだけで幸せだと思っていた感覚をどうやったら取りもどせるか。
自分なりに考えていこうと思う。
本書は、このほか人間関係の悩み、恋愛の悩み、お金の悩み、病の悩み、死の悩みなどに1章ずつをあて、それぞれの問題で苦しんでいる当事者に寄り添い、いっしょにため息をつきながら、同じ悩みを持つ他の人の話を聞かせたりしてくれる。
はっきりとした答えを示すよりも、悩んでいる本人が何らかの気づきを得るように仕向けているのは、心理カウンセラーとしての経験から来ているのだろう。
個々の悩みに寄り添ったあと、どんな悩みにも意味がある、という考えをもう一度読者に示して本書を終えている。
最後に、「エピローグ」の一部を引用させていただく。
人は、まさにそのつらく苦しい出来事の渦中にあるときには、ただただ、その出来事を耐え忍ぶだけで精一杯で、そのことについてふり返る余裕はありません。
そのような状態にある方がカウンセリングを受けに来られると、ただただ、何かが溢れ出すように、「自分が今いかにつらいか」「苦しいか」を語り続けます。
しかし、「時の経過」の持つ力は偉大です。その出来事から、1年、2年、3年……と経つうちに、次第にそのつらく苦しかった出来事との間に「距離」がとれてきます。
(中略)
すると、その出来事の渦中にあったときには、ただ耐えしのぶのに精一杯で、「早く過ぎ去ってほしい、ただの無意味な、つらく苦しい出来事」としか思えなかったことが、やはり意味があり、自分の人生で「必要だから起きた」ものであったことが、次第にわかってきます。
(中略)
そして、そうした内的な自己探索を続けていくと、それらの出来事が自分の人生で起きざるをえなかったことの「必然的な意味の感覚」が立ちあがってきます。
自分の人生のつらく苦しかった出来事をふり返っていると、「あの出来事にもやはり意味があったのだ。必要だから起きた出来事だったのだ」と「必然的な意味の感覚」が生じてくるのです。