副題:親の老いと、本当のワタシと、仕事の選択
著者:山田 ズーニー 出版社:河出書房新社 2012年11月刊 \1,470(税込) 231P
著者の山田ズーニー氏の肩書きは「表現インストラクター」である。
ベネッセコーポレーションで小論文編集長として高校生向け指導を16年間行ったあと、フリーランスとなり、いまは表現力のワークショップを全国でひらいている。
2000年から『ほぼ日刊イトイ新聞』に連載している「おとなの小論文教室。」は、山田氏の出すお題に対して多くの読者が自分の考えを投稿し、その投稿を読んだ読者が、また自分の想いを吐露する、という人気コーナーである。
2011年5月、山田氏は、本書の題名となった「おかんの昼ごはん」という一文を「おとなの小論文教室。」に載せた。
連休に実家に帰ったとき、母親の老いに気づいてしまった、という内容だ。
以前は、台所のリーダーとして、段取りよく、だれよりテキパキ立ち働いた母親だったのに、一緒に夕飯のしたくをはじめたら、自分では何もせずに、指示ばかりしている。
かと思うと、今やっていることを放りだして他のことをやりはじめたり、人がやっていることにあれこれ注文をつける。
自分はヘタだ、ダメだと愚痴をいう。
「脳の体力・持久力」が衰えたのだ、と山田氏は気づいた。
はじめは苛立って声をあらげた山田氏だったが、紙パックのコーヒーをカップの両端にひっかける、という簡単な動作もできなくなっている母親を前にしたとき、もう怒る気持ちは起こらなかった。
「これからは、ひとつのことを、時間をかけて、ゆっくりやろう」。そう言葉をかけた。
山田氏が東京にもどる前の日、脳梗塞の父親と、めっきり要領の悪くなった母親が、二人きりで昼ごはんを作ってくれた。
ずっと台所でもめながら作ってくれた料理は、見方によっては、刻んだだけ、ゆでただけ、ならべただけと言えないこともない品々だった。
かつて、料理上手の母親が作ってくれた手の込んだ料理を思い出すと、少し哀しかったが、山田氏は思い返す。
しかし、少し未来を思えば、
父と母の手料理を3人でかこんだこの食卓が、
いつか宝石のような思い出になる。
(中略)
ありがとう。
翌日、母親に見送られ駅に向かった山田氏は、周りの灯りがいっぺんに消えたような錯覚をおぼえ、涙とともにひとつの言葉が出てきた。
「2011年、5月5日、きょう、
私の青春は終わった。」
社会人になって20年経とうという山田氏だが、親が元気なうちは、まだまだ子どものままだったことを思い知らされたのだ。
親の老いを前にしたとき、山田氏の青春は終わった。
駅に向かう道も、電車の風景も、人々も、
それまでとはまったくちがって見えた。
みな切ない光を放っていた。
以上が山田氏の書いた「おかんの昼ごはん」の要約である。
『ほぼ日刊イトイ新聞』でこの一文を読んだ人々から、たくさんの反響が寄せられた。
親の老いを実感させられた日のことを思いだした、というメール。
読者自身の「青春の終わり」を書いたメール。
自分自身の人生の短さを悟ったうえで、どう生きるか、を考察したもの……。
感想メールは1回では紹介しきれないほどだったが、それを山田氏が紹介すると更に意見が寄せられ、ぜんぶで7回にわたり「おかんの昼ごはん」の反響紹介が続けられた。
泣きながらこの一文を書いた、という山田氏に触発されたのだろう。多くの読者が心をゆさぶられ、自分の身に引き当てて「老い」や「青春」や「人生でひとつ大切にするもの」について真剣に考えた意見が送られてくる。
「自分でも訳がわからないほど涙が止まりませんでした」という読者は、もう4年も月いちペースで実家へ帰って家事を手伝っているのだが、本格的な介護が必要になってきて悩んでいるという。
「仕事を辞めて実家に戻るべきか」と考えてしまうことがあるかと思えば、「いやいや、仕事を辞めれば生活の基盤を失う」と思い直したりもする。
一方で、冷静に「仕事を辞めてはいけない。故郷に帰ってはいけない」、「持続可能か? ここを考えて欲しい。泣いたり吼えたりはその後です」と諭してくれる介護暦15年の読者からの投稿もあった。
親の老いに気づいたとき、山田氏は、「青春が終わった」と感じ、同時に、これからの人生で大切にするものをしぼり込むことを決意した。
山田氏がしぼり込んで選んだ「ひとつ」は、「文章表現」の仕事だ。文章表現の仕事というのは、表現者として自分が言葉で表現することであり、同時に他の人から言葉を引き出す「言葉の産婆」としての活動することも含まれる。どちらも、彼女が大切にする「ひとつ」なのだ。
その「ひとつ」を大切にしながら、山田氏は今日も「あなたには書く力がある」、と心で叫びながら、文章教育に突きすすんでいる。
本書には、このほか『ほぼ日刊イトイ新聞』で取りあげられた
「本当のワタシ」
「仕事の選択」
というテーマについて、山田氏の問題提起と、読者の反響が収められている。
どちらのテーマからも、山田氏の真剣さが伝わってくる。
自分の考えたことを、こちらがギョッとするくらい赤裸々に明かす。それが山田氏の“芸風”なのだ。
山田節を聞いたことのない人は、ぜひ手にとってみてもらいたい。