副題:志望校全滅には理由がある
著者:瀬川 松子 出版社:光文社(光文社新書) 2008年11月刊 \777(税込) 193P
わが家の娘が小学4年生になるとき、カミさんと話し合って私立中学を目指すことにした。
さっそく最寄り駅の進学塾に娘を通わせることにし、週に2日、夕飯が遅くなる生活がはじまった。
月に1度、理解度テストが行われ、その塾のなかでどのくらいの成績なのかを示す偏差値つきで答案が返される。
また、2ヵ月に1度のペースで開かれる保護者向けの説明会で、親も一緒に頑張るように気合いを入れられる。
気合いが入ったぶん、成績が上がれば何の問題もないのだが、娘の成績は上がったり、下がったり、下がったり。
5年生になって塾の授業も、週3回に増えた。家での勉強時間も増やし、本人も頑張っているので、親として期待してしまうのだが、今年の成績も上がったり、下がったり、下がったり……。
このままで大丈夫なのかなぁ、と思っていた時に目についたのが、「志望校全滅には理由(わけ)がある」という刺激的なタイトル。
今日は、受験生の親として、ものすごく身につまされる一書を取りあげる。
まずは、著者の紹介から。
著者の瀬川氏は、塾の講師として、また家庭教師として多くの中学受験生に接してきた。いくつかの塾、家庭教師会社に所属するうちに、受験生よりも利益を重視する経営体質に疑問をいだき、個人で活動するようになった、という経歴を持っている。
第1章は、反面教師的な実例がたくさん登場するエピソード集だ。
「そんな親、本当にいるの?」という事例がたくさん紹介されているのだが、すべて実話をもとにしているというからすごい。
指定日までに娘の成績上げておくように、と丸投げして恫喝する親。
家で復習をするように言われ、「入塾説明会でそんなこと聞いていない。そんな大事なこと、なぜ今ごろ言う?」とクレームをつける親。
難関校ばかり受験せずに滑り止めの学校受験を勧めても、子どもの偏差値より高い学校しか見向きもしない親。
合格のためには、裏口入学も盗聴も辞さないという、という実例に至っては、呆れるしかない。
ふだんは冷静なのに、こと子どもの受験となると常軌を逸した行動に出てしまう人々を、著者は「ツカレ親」と名づけた。中学受験に取り「つかれ」、暴走の末に「つかれ」果ててしまうのが「ツカレ親」なのだ。
本書では、「ツカレ親」を分類し、大きく「セレブ系ツカレ親」と「庶民系ツカレ親」に分類し、その特徴を解説してくれる。
ひと昔前までのイメージでは、子どもの勉強に入れ込んで暴走するのは母親に決まっていたが、最近は父親の方がのめり込む事例も目立つ、という。
ツカレ父親がセレブ系に多いことから、こういう父親は「セレブ系父親」の傍流にあたる「エリート系ツカレ父親」と命名されている。
冷静さを失った「ツカレ親」の目を覚まさせるのが、ツカレ親の思考がどのように間違っているかを解説する第2章だ。
なかでも強烈なのが、お受験業界ではタブーになっている
子どもが持っている能力には差がある
という身も蓋もない事実の指摘。
著者は言う。
二十人弱の子どもを教えていると、一度の説明で理解できる子と、極限までかみ砕いた説明を何回も繰り返さないと理解できない子が、必ず出てきます。このほか、三十分前に聞いたばかりの人名を忘れてしまっている子と、二週間前の余談に登場した豆知識を覚えている子、宿題はしっかりこなしてくるのに小テストでなかなか得点できない子と、宿題をさぼっていても常にトップの座を譲らない子など、歴然として「デキ」の違いが現れてくるのです。
この冷徹な事実を認識しない親たちは、「合格はあくまで努力次第」、「がんばり次第でなんとかなる」と考える。そして、際限なくお金を投じて塾や家庭教師でスケジュールを埋め、子どもが自分で勉強する時間をなくしてしまう。
塾や家庭教師が全力で教えこもうとしても、本人が何度も復習しなければ学習内容が身につくわけがない。
少しでも「ツカレ親」の目を覚まさせるために、著者は、次のような2軸4象限マトリクスを提示する。
時間が残されている
↑
│
絶望的という │ 有望
ほどではない │
基礎学力が │ 基礎学力が
身について←───────┼───────→身について
いない │ いる
絶望的 │ 望みが
│ なくはない
│
↓
時間が残されていない
この、マトリクスを見ることで、「ツカレ親」は、次のような当たり前の道理を実感することができる。
子どもの努力を信じることも大切だが、子どもの偏差値が志望校にとどかない状態で、残された時間が少ないのならば、目標そのものを再検討する必要がある、という現実だ。
最後の第三章「対策編」では、志望校全滅を避けるための様々なアドバイスが載っている。4年前に発刊されてから中学受験生を取り巻く状況は変わっていないようで、どのアドバイスも納得のいくものだった。
それにしても、なかなか思うようにいかない我が娘の成績に、これからどのように付きあっていけばいいのだろう。
まだ5年生で「時間が残されている」ことは間違いないので、「絶望的というほどではない」との著者のなぐさめを信じ、もう少しがんばってみるしかないのかなぁ。
ともかく、がんばりすぎて、「ツカレ父親」にならないように気をつけることにしよう。