夜回り先生いのちの授業


著者:水谷 修  出版社:日本評論社  2011年7月刊  \1,260(税込)  163P


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水谷修氏は1956年神奈川県生まれの、元夜間高校教師である。
子どもたちの非行防止や薬物汚染の拡大防止のために「夜回り」と名づけた深夜パトロールを行い、メールや電話による相談や、講演活動で全国を駆けまわっている。


盛り場でたむろする青少年に声をかける行為は、一般人には危険でまねできない行為だ。
もう有名人になった水谷氏が敢えて危険な行為をしなくてもよいように思えるが、水谷氏は「子どもたち」との出会いの場を大切にしている。講演会で訪れる全国の地方都市でも、講演が終わると夜回りで出かけるそうだ。


本書は、中日新聞の連載エッセーを1冊の本にまとめたもので、「いのちの授業」という題名が示すとおり、水谷氏が子どもたちに大切にしてもらいたいことをやさしい言葉で語りかけている。




「今、この時を大切に生きる」
「いかなる時も、人を殺してはならない」
「毎日コツコツ勉強する」
「読書の習慣をつくる」
「熱中できることを探す」


目次のタイトルだけを見てみると、説教オヤジが言いそうな項目が並んでいる。
しかし、夜回りしながら子どもたちの心をつかんできた水谷氏の言葉は、ちっとも説教くさくない。


たとえば、「寂しさ」についての次のような一文。

 夜回りを始めたころに、よくこんな質問をされました「なぜ夜回りをするのですか」。私はいつも胸を張って答えました、「寂しいから」と。
 寂しさは、決して罪でも悪でもありません。人が寂しいのは当たり前なのです。生まれる時は一人、死ぬ時も一人というのが、人の宿命なのですから。
 むしろ、寂しさは生きていくうえでの力になります。寂しいから、人とかかわる。寂しいから、だれかの笑顔のために何かをする。
 寂しいと感じているのなら、その寂しさをバネにして、だれかのために羽ばたきましょう。


説教オヤジはいつも虚勢を張っている。自分の弱さを表に出さないから「寂しい」なんて口にしない。
「寂しさ」のおかげで悪い仲間に入ってしまう夜の子どもたちは、水谷氏が「寂しいから」と胸を張って宣言している姿に、意表を突かれるだろう。そして、水谷氏が何度も口にする「いいんだよ」という言葉を聞き、閉ざした心を開いていくに違いない。



もうひとつ。「あいさつ」について。

 私は子どものころから、どんなにつらい時も苦しい時も、人と目が合った時は笑顔で会釈し続けてきました。会釈とは、軽くあたまを下げて挨拶することです。にらまれたり無視されたりして、哀しい想いをしたこともあります。
 でもそれ以上に、たくさんの笑顔を返してもらい、幸せな気持ちとその日を生き抜く力をもらってきました。
 目と目が合ったら、笑顔で会釈してみませんか。きっと、自分のこころが温かくなり、幸せなものに変わります。


この一文だけ読むと、ありきたりの訓諭に見える。
しかし、水谷氏の生い立ちが決して幸福ではなかったこと、また、中学の頃から教師に不信を覚え、荒れた生活を送っていたことを考えると、それでも会釈し続けてきたことの重みを感じる。
「重み」というより「凄み」と言ってもいいかもしれない。



本書の出版準備をしているさなか、今年3月11日に東日本大震災が起こった。


いのちの大切さを訴える本をまとめているというのに、大災害で大勢のいのちが失われてしまった。水谷氏は無力感と哀しみに打ちひしがれたという。


だが、そんな時でも水谷氏には「死にたい」「リストカットしてい」「つらい」と書かれたメールがたくさん届く。
震災で多くの人が命を失ったというのに……。
生きたくても生きられなかった人のことも考えず、自分のことしか考えていない子どもたちのことが哀しくなり、水谷氏はすべてのメール返信をやめた。


しかし、被災地から届いたメールが水谷氏の気持ちを動かす。


メールの送り主は「気仙沼リストカッター」だった。
かつてリストカットを繰りかえし、「死にたい、死にたい」と水谷氏にメールを送り続けた子どもの一人だった。地震で家が壊れてしまったが、自分も家族も無事だという。
多くの人の死を前にして、かつての自分が恥ずかしくなった。戦争や飢餓で苦しんでいる人もいるというのに、つまらないことで「死にたい」と言っていた過去の自分に腹が立つ、というのだ。
いつか医者になりたいという夢を思い出し、避難所の救護班で活動している彼は、夜通し病気のおばあちゃんの体をさすってあげたときのエピソードを水谷氏に報告する。
泣きながら「ありがとう、ありがとう」と繰り返すおばあちゃんの言葉を聞き、人のために何かすることの大切さを心の底から思い知った。
「生きてだれかの役に立てることは力をもらえます。ありがとう」と結ぶメールを読み、水谷氏の心にも力が湧いてくる。


このメールをきっかけに、メールへの返信を再開した水谷氏だった。


こんな時だからこそ、ひたぶるに夜回りを続けてきた水谷氏の一言ひとことが心にしみる。

参考記事:今まで取り上げた水谷修氏著作