本田靖春 「戦後」を追い続けたジャーナリスト


著者:河出書房新社編  出版社:河出書房新社  2010年7月刊  \1,200(税込)  191P


本田靖春---「戦後」を追い続けたジャーナリスト (文藝別冊)    購入する際は、こちらから


先月末、「新刊ラジオ」というポッドキャスティング番組で、パーソナリティを担当されている矢島雅弘さんにはじめてお会いした。


僕の『泣いて 笑って ホッとして…』を差し上げたところ、パラパラッと本をめくりながら、
「あっ、この本読みました。
 あっ、これもいい本ですよねー」
と感想をつぶやいたあと、
「この70冊のうちで、浅沼さんの一番のお勧めは何ですか?」と質問された。


僕の『泣いて 笑って ホッとして…』は8つの章にわかれていて、それぞれ別な趣向で本を紹介しているので、「一番のお勧め」なんて考えたこともなかった。


「えーっとですね……」といいながら、目次をめくり、「あっ、これをベストワンにしよう」と、とっさに選んだのが、本田靖春さんの絶筆になった『我、拗ね者として生涯を閉ず』だ。


矢島さんは、
「“スネモノ”ですか。すごいタイトルですねぇ……」
と、絶句していた。


ノンフィクションをあまり読んでいないのか、本田靖春の名前をはじめて聞いたようだった。(『我、拗ね者として生涯を閉ず』の読書ノートは、こちらを参照)


今日の1冊は、この凄まじいタイトルの著者である本田靖春の特集ムック本を取りあげる。


まず、本田靖春氏の略歴から。


本田靖春氏は1933年、旧朝鮮・京城に生まれる。
1955年、早稲田大学卒業と同時に読売新聞社に入社し社会部記者となる。
1964年の「黄色い血」追放キャンペーンで売血を撲滅。
1971年に読売新聞社を退社。以降、フリーランスのノンフィクションライターとして多くの著作をてがける。
2004年、多臓器不全のため死去。享年71歳。


ノンフィクションというジャンルを開いた著者のひとりであり、弱い者の目線で作品を描き続けた。経済的に決して恵まれない道を選び、そんな自分を「由緒正しい貧乏人」と呼び、「拗ね者」と自嘲する。


そんな本田氏の人生は、本人が書いた自伝である『我、拗ね者として生涯を閉ず』で追うことができるが、今回の『本田靖春』特集本では、同業作家が書いた本田氏の思い出や、後輩ジャーナリストが分析する本田氏の位置づけ、家族へのインタビューなど、周辺の人びとが本田靖春像を描いている。


ノンフィクションとは何なのか。その中で本田靖春はどんな位置づけなのかを概観した記述を一部引用させていただく。

 戦後のノンフィクションの流れには、第一世代として大宅壮一という一つの峰があります。草柳大蔵などの大宅壮一グループと、その亜流、変形のようなトップ屋集団としての梶山季之などが活躍してきた時代が第一世代です。次にどういう世代が出てくるかというと、本田靖春柳田邦夫立花隆澤地久枝、この四人が代表格です。この四人ともに共通しているのは、本田さんは読売新聞、柳田さんはNHK、立花さんは文藝春秋、澤地さんは中央公論にいた。つまり、ここでは飽き足りない、窮屈でならないと脱藩した人達なんですね。そういう世代が、我々が一番身近に目指すべき存在だったわけです。今なぜ本田靖春なのかということを考えていくと、一昨年から雑誌がバタバタと潰れた状況につきあたります。(中略)けれども雑誌の目次を見ても、散々テレビで言われていたことの出しがらで、全部評論誌になっている。足を使った調査報道が無くなってしまったことが、本田靖春に読者の目を向かせる大きな理由の一つのような気がします。
      (佐野眞一×吉見俊哉対談より佐野氏の発言)


本田氏は読売新聞を退社したあとも、足を使った調査報道、という路線を踏襲しつづけた。最後まで、社会部記者にこだわりつづけたのである。


ノンフィクションライターとしては後輩にあたる沢木耕太郎が、まだ本田氏が元気に飛び回っているころに会ったとき、「ヤクザな正義派」という印象を持ったという。


本田氏は沢木氏との別れ際に、
  「俺たちの稼業は……」
といきなり話しはじめ、右手の人差し指で自分の頭をコツコツ叩くと、
  「ここじゃあなくて……」
と言った。
そして、突きだした右腕を左手で威勢よくポンとはたいて、
  「これなんだ」
と言ってニヤリとしたことを沢木氏は回想している。


本田氏は、社会正義を本気で実現しようとした。ときにヤクザな方法をとってでも。


読売新聞時代に、売血反対キャンペーン報道をはじめたころ、輸血用血液を献血でまかなうなんてムリだ、お金を支払う売血でなければ、誰も血を提供してくれない、という社会の「常識」があった。


そんな常識を変えるべく、本田氏は戦略的報道をはじめる。本田氏は『我、拗ね者として生涯を閉ず』に次のように書いた。

私は、『邪道』をとることにした。愛だの公徳心だののきれいごとは一切いわず、読者を脅すことにしたのである。


「脅し」の道具は「血清肝炎」だ。
その日暮らしの人たちの売血は決してきれいではない。売血で集めた輸血を受けた人の約20%が肝炎になってしまう、という「事実」を強調して報道した。


この「ヤクザ」な方法で、肝炎に対する恐怖心から、売血制度はやめろ! という風向きができた。


柳田邦夫立花隆と同時期に、こんな変わったノンフィクション・ライターがいた。


電子書籍元年といわれる今年だからこそ、読んでみたい一書である。