河合隼雄のカウンセリング入門


副題:実技指導をとおして
著者:河合 隼雄  出版社:創元社  2009年6月刊  \1,575(税込)  269P


河合隼雄のカウンセリング教室    購入する際は、こちらから


先日取り上げた『ひとりの午後に』のなかに、次のような一節があった。

  女友だちの話相手になってみると、びっくりするほど、ひとは他人
  のことに関心がないのだ、ということに気がついた。(中略)まし
  て男が相手なら、言うもおろか。男がエネルギーのあるときには男
  の自慢話の、男が弱っているときには男の愚痴の、結局聞き役にま
  わってしまう。男は聞き手になることに慣れていないからだ。まれ
  にそうでない男に出会うと、稀少動物のように感じる。


さすが上野千鶴子氏。
「札付きのフェミニスト」と自称するだけあって、女友だちにも世の男どもにも厳しい。
ひとは他人の話を聞くよりも自分の話をしたがるもの、と断言している。


今日は、そんな上野氏から「稀少動物のよう」と言われることまちがいなしの著者が書いた一冊を取りあげる。


著者の河合隼雄氏は、1928年、兵庫県篠山市に生まれ。日本人初のユング派分析家として、ユングの分析心理学を日本に紹介した心理学者である。
文化庁長官をつとめたあと、2007年7月に79歳で亡くなった。


河合氏の本は、僕の読書ノートでも『大人の友情』 や、茂木健一郎氏との対談『こころと脳の対話』を取り上げた。
あの自信たっぷりの茂木さんが「河合先生の言葉、宝石のようです」と感嘆していたのが印象的だった。


本書は、スイスのユング研究所への留学から帰って間もないころに講師をつとめた「カウンセリング講座」の講義録である。


創元社編集部から出版の申し入れがあったとき、河合氏は「そんな古いものを」と最初はあいてにしなかったのだが、原稿を読みかえしてみて気が変わった。カウンセリングが急激に広がったののはいいが、カウンセリングについての誤解も多いのでもっと本質を伝えていく必要がある、と説得されたのだ。


出版を決めた河合氏は、
 「カウンセリングを学ぼうとする人に、その基本の基本を伝えようと
  するものとして、今こそ読んでいただきたい」
と「はじめに」で強調している。


本書の初版が発刊された1998年時点で「30年以上も前」の講義だが、「相手の話を聴くこと」というカウンセリングの基本は、当時もいまも変わらない。


カウンセリングの当事者ではない僕のような一般人にとっても、「相手の話を聴くこと」は大切なのではないか。なまじのビジネス書よりも、ちょっと専門家向けの本書のほうが「聴くこと」の大切さを教えてくれるのではないか、と思って手に取った。
自分もカウンセリングの当事者になったつもりで、河合先生の講義に参加してみよう。



河合先生の講義では、参加者2人を指名してロールプレイするところからはじまった。
ひとりは相談に来た人(クライエント)、もう一人がカウンセラーになって模擬カウンセリングを行う。
カウンセリングの切れ目がきたら、参加者から「カウンセラーの意見に賛成」とか「自分ならこうする」という感想を出してもらい、一段落したところで河合先生が総括する、という進め方だ。


最初のロールプレイは、友人から転職相談を受けている、という相談者に「でしたら、そにかくその人と一緒に来てください」とカウンセラーが返して、すぐに終わってしまった。
参加者からは、当事者を呼んでくるのは正しい意見と思う、とか、来た人の話をもって聴いてやるべき、などいろいろな発言がある。河合氏は、ひとつひとつの発言内容の意図を確認したり、「ハイ、ハイ」、「なるほど」、「ハアハア」などと合の手を入れていく。


意見が出尽くしたころに、他人のことで相談するときは難しいことを認めたうえで、もっと聴いたほうがいいという考え方もあるから「ただ聴く」という練習を続けてみよう、と次のロールプレイ希望者を募る。
今ふうに言うと「ファシリテーション」の技法とも通じるところがあるのだろうが、こうして参加者の言いたいことを引きだしていくと、話の内容が深まっていく。


ロールプレイを中心にした講義が進むにつれ、参加者は「ただ聴く」ことがいかに難しいかを学び、「ただ聴く」ことの重要性に目ざめていく。


河合氏が言ったまとめの言葉を引用する。

  しかし、繰り返して言いますが、はじめてカウンセリングをされる
  方にいちばん大事なことで、どれにも共通していることは、僕はやっ
  ぱり何と言っても「聴くこと」だと思います。こんなに馬鹿げてい
  て、簡単なようで、しかもむずかしいことはありません。しかし、
  このことだけは徹底しないと駄目だと思っています。ですから、こ
  うして何度も同じようなお話しをしているわけです。


話を聴きつづけていくことで、クライエント自身が自分の力で立ち上がってくる。人間にはそういう力が備わっていることを信じるからこそ、カウンセリングでは「聴くこと」を大切にするのだ。


印象的だったのは、河合氏がカウンセラーにも限界があることを「当たりまえの話」、「明々白々たること」と言いきっていることだ。
学校カウンセラーとして女子徒の家出問題にどう対処すればいいかわからない、と参加者のひとりが問題提起したとき、河合氏は「カウンセラーに限界があるということは当たりまえの話です」と答えた。


誰でも水谷修氏のように「夜回り先生」になれるわけではないのだ。


ただ、その限界を「カウンセラーとしての限界」とか「教師としての限界」と逃げ口上を言ってはいけない、と河合氏は言う。「私の限界です。私は参りました」という気持ちをどこかで正直に認めることが重要で、そうでなければクライエントと問題が起こる可能性もあるという。


いやいや、カウンセラーというのは、本当に大変な仕事だ。
聞き役に回れる珍しいオジサン、くらいの聴く力が持てれば僕には十分だ。


「聴くこと」の大切さと難しさを腑に落ちるまでおしえてくれる本書であるが、最後に、生兵法はあぶない、という河合氏の指摘を引用させていただく。

  われわれ医者でない者は、そういうノイローゼの人、心の問題で悩
  んでいる人には役に立ちますが、統合失調症とか躁うつ病の人は、
  われわれだけではやっていけません。絶対にお医者さんにまかせる
  べきです。