著者:中野 京子 出版社:朝日出版社 2008年4月刊 \1,890(税込) 249P
西洋絵画に秘められた恐ろしさを教えてくれる、恐怖ツアーガイド第2弾です。
第1弾を昨年3月の読書ノートで紹介したあと、すぐに第2弾が発刊されていましたが、1冊目でお腹いっぱいになったので、1年以上手を出さずにいました。
今回も、鳥肌を誘う恐ろしい絵画20点が取りあげられています。
人が怖がるものの第一は「死」に違いありません。特に中世の「死」は、今より恐ろしいものでした。
著者の中野さんによれば、土葬中心の18世紀までの墓場というのは、とても不潔な場所でした。
深い穴を掘らなければならないのに浅い穴も多く、棺も使えない貧民墓地では頭陀袋に入れられた死体を一つの穴に何体も投げ入れるそうです。(そういえば、映画『アマデウス』の最後の場面で、モーツァルトの亡きがらがこのような扱いを受けていました)しかも人数がそろうまで穴は開けっぱなし。申し訳程度に石灰をぱらぱら撒くだけなので、猛烈な腐敗臭を発していたといいます。
死んだらこうなる、というおぞましい実例を身近に見せつけられた当時の人々にとって、「死」に対して感じる嫌悪感・恐怖感は、現代人の比ではないでしょう。
しかも、医学の進歩のための人体解剖が、件数が増えて死体が足らなくなると「死体」を調達する人々があらわれました。『フランケンシュタイン』や『二都物語』に描かれた墓場荒しの世界です。
やがて警察や自警団が墓場に目を光らせるようになると、「死体を盗めないなら、死体を作ればいい」という闇の仕事が生まれます。係累のなさそうな浮浪者や売春婦、孤児などの社会的弱者を「死体」にする商売です。
このおぞましい「死体をモノと見る」仕事は、決して過去のものではありません。闇社会で臓器売買がまかり通っていると聞いたことがあります。
本書には、「死」をストレートに連想させる血なまぐさい絵がいくつか登場しています。
逆に、華やかな色彩の明るい絵の中にも中野さんは死の影を見ます。
フランス革命期に皇后ジョセフィーヌとならぶファッションリーダーだったレカミエ夫人の肖像画、何不自由のないスペインのマルガリータ王女と侍女たちを描いた名画。
いずれも、一見はなやかな絵画が、死と隣り合わせの日常を暗示しているのです。
絵の内容だけでなく、絵を生み出した画家の悲劇を教えてくれる作品もいくつか取りあげていました。
有名な『泣く女』はピカソの恐ろしい一面を教えてくれますし、『キリストの洗礼』は、天才ダ・ヴィンチが一人の芸術家から永遠に絵筆を取りあげるきっかけになったことを示しています。
あのグロテスクな『サロメ』を描いたビアズリーは、劇作家オスカー・ワイルドの道連れとなり、悲劇のうちに人生を閉じました。
う〜ん。今回も、人の怖い一面をたくさんたくさん教えてもらいました。
もし第3弾が出ても、お腹いっぱいでしばらく食べられないでしょう。
さて、中野さんが絵画を見るたしかな眼を持っているのは当然として、2冊目ではじめて気づいたのは、中野さんが絵の内容を解説する文章が生き生きとしていることでした。
「画面前景の右側から見てゆこう」と、絵を指さしながら説明するように、そこに書いてある人や物が何なのか、どのような寓意があって、見る人をどんな気分にさせるかを語ってくれます。
中野さんの解説を読みながら元絵のページへ何度も行ったり来たりしている間に、それまで見えていなかったものが見えてきて、全く違った意味を持つことに驚かされます。
登場人物の多いエッシャー『相対性』やブリューゲル『ベツレヘムの嬰児虐殺』は、中野さんの解説がなければ、画家の意図の半分も理解できないままでした。
「絵は感じたままに見れば良い」という主張は、「文章は話すように書けば良い」と同じくらい間違っていることを教えられました。