著者:目黒考二 出版社:本の雑誌社 1985年5月刊 \1,223(税込) 237P
ここのところ忙しい日々が続いていて、少しココロがバテ気味です。
なんだかノスタルジーの香りのする本を読みたくなり、図書館で20年以上前に出た本を借りてきました。
絶版になった本を書評で取りあげるのは不親切ですが、新装改訂版も出ていますし中古を入れると35冊も在庫がありますので、購入する際は末尾に書いたアマゾンへのリンクをご覧ください。
「本の雑誌」は、椎名誠と目黒孝二が1976年に発行しはじめた「本」の雑誌です。私も何度か手にしたことがありますが、「知っている本が全く登場しない」という大ショックを体験させられました。
書評文を読んでも、
「前作○○に比べると……」
「△△著の▽▽の趣きと似ている」
などと、またも知らない書名と著者名が出てきてチンプンカンプン。
レベルが違う! ということを見せつけられました。
あれは“読書のプロ”のための雑誌ですから、良い子は近寄らないことをお勧めします(笑)。
その「本の雑誌」の誕生前夜から、だんだん雑誌が成長していく様子を椎名誠が『本の雑誌血風録』(1997年刊)に書いていて、私もすぐに読みました。当時私は、熱烈な椎名誠ファンでした。
「あやしい探検隊」や「東ケト会(東日本何でもケトばす会)」というアヤシイ団体を作ってハチャメチャやってる椎名誠の世界が大好きで、私も
「夏だ! 海だ! 湘南だ!」
と夏休みのメインテーマをリビングの壁に大書きして、カミさんと2人で江の島を歩き回ったり、湘南海岸をサイクリングしたものでした。楽しかったなぁ……。
いかん、いかん。
本の内容に入る前に、もうノスタルジックになっている。
気を取りなおして「本の雑誌」のもう一人の生みの親、目黒孝二が書いた回顧録の内容に入ります。
なりゆきと勢いで、「本の雑誌」第1号は出来上がりました。
仲間うちだけに配る同人誌にはしたくない。
見知らぬ人に手にとってもらいたい。
――それが二人の共通の思いでした。
ならば誰かが書店に持っていかなければなりません。
椎名は業界紙の編集長で忙しかったし、家庭もありました。
独身で融通のきく職場に勤めている目黒孝二が書店まわりを担当するのは、自然の流れです。出版流通の知識もなく、納品書も請求書も書いたことのなかった目黒の書店営業がこうしてはじまりました。
本書「風雲録」は「本の雑誌」の内容の回顧ではなく、取り次ぎを通さない直販雑誌ならではの配本の苦労話をまとめたドキュメントなのです。
なりゆきからスタートし、少しずつ部数を伸ばしてきた「本の雑誌」は、いろいろな人にお世話になりました。はじめて事務所ができるまでの5年間、椎名と目黒の友人たちが会社を休んでは手伝ってくれました。
自分の勤務先の近くの書店に配本することになり、運転席でタオルをかぶって隠れた、なんていう笑い話も登場します。
友人たちだけでは回らなくなった頃、助っ人募集! に呼応して集まってくれた学生達が頑張ってくれるようになり、「配本部隊」と名づけられました。
本書の帯(のように見えるデザイン)には、次のように書いてあります。
雑誌を作る人がいた。そして運ぶ人がいた。
出来たての雑誌をカバンに詰め込み、電車に
乗って、バスに揺られ……。彼らは配本部隊
と呼ばれた。一日の労働に対する謝礼はカツ
丼と一本のビール
何か本に関わっていたいという学生たちの熱意に支えられていた「本の雑誌」は、とてもビジネスとはいえない状態です。
そもそも、目黒自身が仕事をするよりも、ただ本を読んで暮らしていたい人間なのです。
「生活はふわふわと頼りないものにしておきたかった」と繰り言をつぶやく目黒は、部数の増加を素直に喜べません。
しかたなく配本部隊を指揮しているうちに、目黒は都内の地理にムチャクチャくわしくなり、学生たちの面接やリーダーの任命など、人並みのビジネスマンに育っていきました。
毎年やってくる卒業シーズンには、学生たちとの別れと、もう昔には戻れないという目黒自身の思いが交錯します。
「椎名誠との確執」の真相も知ることができました。
本の雑誌ファン、椎名誠ファン、目黒孝二ファン、その他、ちょっと青春のノスタルジーに浸りたい人にお勧めです。
ところで、冒頭に「良い子は「本の雑誌」に近寄らないほうが良い」と書きましたが、世界的不況の影響かどうか、あまり「本の雑誌」の経営が思わしくないようです。(↓)
http://d.hatena.ne.jp/miyabi-tale/20081216/1229432911
「本の雑誌」が無くなれば、「本屋大賞」の旗ふり役がいなくなってしまいます。私も久しぶりに買ってみることにします。
皆さんも本の雑誌を応援しましょう!