JRはなぜ変われたか


著者:山之内 秀一郎  出版社:毎日新聞社  2008年2月刊  \1,785(税込)  287P


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郵政民営化は始まったばかりですが、国鉄が1987年に民営化されてから、もう20年が経過しました。
本書の帯に「1日52億円の赤字から1日26億円の黒字へ」とある通り、経営数値で見るかぎり、民営化は成功と言えるようです。


本書は、国鉄民営化時にJR東日本副社長に就任し、その後、副会長、会長を務て2000年に退社した著者が、JR改革の歴史をふり返る一書です。


著者の山之内氏は本社運転局長、常務理事を歴任した技術系トップとして民営化を迎えました。当時の社長・会長は、それぞれ元運輸事務次官、元三井造船社長という経歴で、国鉄出身者の中では山之内氏が最古参です。
しかも、会社の事業収入の96%を稼ぎ出す鉄道事業本部の本部長と、巨額の工事費を使う建設工事部も担当することになったのですから、新会社を一身に背負ったといっても過言ではないでしょう。


国鉄時代の悪いところを改めるところからはじめよう! いきおいこんだのは良いものの、「お客さま」という言葉を社内に徹底するだけでも大変だったといいます。
国鉄内では「乗客」「利用客」と無機的な言い方で呼んでいましたし、窓口でも「お客さま」ではなく「お客さん」が一般的でした。
社長・会長にならって、副社長の山之内氏も「お客さま」と口に出してみましたが、最初のうちは一種の抵抗感があり、わざとらしい気がしたそうです。


民営化したからといって、一夜で変われないことを端的に示すエピソードでした。


国鉄時代の負の遺産として大きな問題だったのは、組合の要求を受け入れ続けた結果、民間企業では信じられないような非効率な勤務実態です。
たとえば、保線作業員は現場に向かう前に、まず事務所に出勤し、勤務時間が始まってから作業着に着替え、その日の作業指示を受け、体操をしてからおもむろに現地に行きます。昼食は必ず事務所に戻って食べるという慣行もありましたし、驚いたことに、給料日には仕事をしないという暗黙のルールを持つ現場もあったそうです。


組合の力が異常に強くなったのは、1970年代の労使対決「マル生運動」に経営側が敗れたのが大きなきっかけでした。この頃から現場単位で労使協議することになり、効率の悪い労働慣行が作られて行ったといいます。
民営化直前の労使交渉では、断続的に開かれる組合との交渉と、回答の検討の繰り返しで3日3晩、イスにすわったままで横になることもできなかった、と山之内氏は述懐します。


この他、談合と天下り、政治的な圧力で作られる不採算路線等によって赤字体質になっていた国鉄です。その厚い壁をやぶり、一つひとつ改革していく過程を読んでいると、憑きものが1枚ずつはがれていくような爽快感を感じます。


企業の元トップが書いた成功話です。自慢が多くなるのは当たり前と思っていましたが、率直に失敗事例も載せていて、好感が持てました。


もちろん悪名高き組合つぶし等の影の部分は語られていません。
あくまで、民営化の「光」部分の詳しいレポートとしてお読みください。