著者:梅田望夫/茂木健一郎 共著 出版社:ちくま新書
2007年5月刊 \735(税込) 213P
変化の速いインターネット関連書籍で、出版してから10ヶ月も経過している本を紹介するのは気が引けます。既に多くのネット書評家が取り上げていて、いまさら何を書いても、きっと誰かが書いたことと重なってしまうに違いありません。
私の尊敬する書評家の永江朗さんは、『〈不良〉のための文章術』の中で、次のような厳しいプロの姿勢を宣言しておられます。
すでに世の中の誰かが書いたりいっていることであるなら、
わざわざ私が同じことを書く必要はありません。
それはむだというものです。
「プロと肩を並べる書評を書きたい」と、いつもは肩肘を張っている私ですが、今回は、背伸びをやめることにしました。
いいものはいい!
やはり、この本を勧めたい。
――たとえ、誰かと同じ褒め言葉だったとしても。
前置きはこのぐらいにして、本の内容に入らせていただきます。
二人の著者の共通点は、普及して10数年しか経っていないインターネットの可能性をとてつもなく評価していることです。
いままで時間的、空間的に隔たっていた人びとが、インターネットのおかげで知り合いになったり、意見を交換できるようになりました。その他、ヤフー、グーグル、ユーチューブと多様なサービスが生まれていて、知的な資源が希少価値のあるものではなく、誰でもタダで手に入る世界が、もうすぐそこまで来ています。
インターネットを「グーテンベルク以来の革命的なできごと」と評することがあります。ちょうどグーテンベルクの活版印刷が、文字で記された人類の知恵を一般人に大量に公開したと同じことが、もっと大きな規模で起きようとしている、という観点で「グーテンベルク以来」と言うのです。
脳科学者の茂木さんは、もっと長いスパンで「言語以来」の革命と言いました。
人類が言葉によって思考するようになって、まったく新しい文明を手にしたように、インターネットを使って世界中の知恵を集積することで、人類はまったく新しい脳の使い方を手にする。それが茂木さんの言う「言語以来」です。
梅田さんは、このインターネットの可能性を確かめるかのように、1日に8時間から10時間もネットの「あちら側」の世界を渉猟しています。
日本に来たときだけ、会議に出席したりコンサルタント先と面会したりしますが、住んでいるアメリカでは飛行機の国内線にも乗らず、ほとんど自宅とオフィスを往復するだけです。
かたや茂木さんは、リアルの世界で充実して多忙な日々を送りながら、ネットの世界でもアクティブに行動しています。
茂木さんが研究しているのは、
「物質である脳からクオリア(質感)がどうやって作り出されるか」
という難問で、ノーベル賞600個ぶんくらいの発見が必要といいます。
その二人が「フューチェリスト」として未来を見通す名手を目指します。そのためには、人間というものを総合的に理解しなければならず、ありとあらゆるものを動員する「知の総力戦」に挑まなければなりません。
そんな途方もない道を選んだのは、二人とも「未来は明るい、そうあってほしい」と願っているからです。
しかし、ネットのあちら側の革命を知ろうともしないリアル世界の権威者たちは、決していい顔をしません。
特に茂木さんは、大学や研究室に閉じこもる生活を拒否していて、テレビのキャスターを務め、自分の専門外の人びとと対談し、執筆・講演・取材を精力的にこなしています。
マルチで活躍しているというだけで「専門で一流の仕事をしていない」と言われることを梅田さんは心配しています。
それでも疾走しつづける二人の活躍を本書で知り、私はモーツァルトの悲しみを連想しました。
モーツァルトは同時代の音楽的権威になかなか認められず、宮廷音楽士としては無名のまま世を去らなければなりませんでした。
こんなに本が売れてインターネットの世界でも有名な二人に悲しみを感じるのもおかしなものですが、同時代の権威者に理解されないことにモーツァルトとの共通点を感じるのです。
二人のフューチャリストの示してくれる未来が、本当に明るい世界でありますように。