その数学が戦略を決める


著者:イアン・エアーズ/著 山形浩生/訳  出版社:文藝春秋  2007年11月刊  \1,800(税込)  340P


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本書は、ふつうの人が近寄らない数学の一分野(数字の世界、データ分析の世界)が、実はワクワクするおもしろさがあるんですよ。役に立つんですよ、と一般人に教えてくれる、一種の啓蒙書です。


サービス精神たっぷりの著者は、冒頭を「ワインの質は雨量と気温の情報で予測可能である」という「つかみ」ではじめました。


えーっ、統計学でそんなことが分かるのー!?


分かるんです(キッパリ)!
しかも、これはデータ分析の力をしめす、ほんの一例なのです。


著者のエアーズ氏は、自らを「絶対計算家」と呼びます。絶対計算は、重回帰分析を中心とする統計手法を用いていて、けっして新しい学問ではありません。ほんの20年〜30年前まで分析のためのデータを揃えるには大変な労力がかかり、データ分析の威力を発揮するチャンスは多くありませんでした。
ところが、データを保管するためのコストが下がった(ディスクの大容量化・低価格化)おかげで、大量のデータを「絶対計算家」が活用できるようになりました。


かつて開発会議やマーケティング会議では、「Aの商品の方が売れる」「いやBの商品こそお客様に支持される」と結論の出ない言い合いをしていたものでした。いまや、A商品との商品の特性データを過去のデータに照らしあわせてみれば、それぞれの売れ行き予測金額をはじき出せる時代になった。データが足らない場合でも、無作為抽出テストの実施や集計が以前より簡単にできるようになっている。
本書は、そう断言しています。


「絶対計算」と著者の造語でいわれるとピンときませんが、アマゾンの「この本を買った人は……」の紹介機能は、インターネットの世界で、大量データ計算を活用している実例の最たるものです。


まだ日本で聞いたことはありませんが、アメリカではクレジットカードの返済実績の低い人はレンタカーを貸してもらえないそうです。大量データの分析によれば、返済実績の低い人は交通事故も起こしやすい、という関連が明らかになっているからです。


マーケティングの世界だけでなく、福祉政策でも、かつて専門家が判断していた領域に、過去のデータと確率を元にした判断方法が浸透してきています。たとえば失業保険受給者に仕事の探し方や面接の受け方の助言をすると失業保険の支払いが減るかどうか、という実験を行い、その結果によって失業者対策を決める、というのが福祉政策の実例です。


「絶対計算」の結果は専門家の判断より正しい、と自画自賛している本書ですが、「光と影」の「影」の部分にもきちんと言及しています。


「影」というのは、政府や企業に蓄積されされた大量データが結びついて個人のプライバシーが丸裸になる可能性がある、ということです。
アメリカの州政府は、運転免許データベースの内容(名前、人種、社会保障番号)を有料で提供しているそうです。役所が個人情報を売っているというのは驚きですが、この社会保障番号があれば、他のデータとの突き合わせ(名寄せ)が簡単にできるようになります。
実際に個人の情報を販売しているチョイスポイントという会社は年商が数十億ドルに達していますし、アクシオムというもっと大きい営利目的データベースは、アメリカのほぼ全世帯の消費者情報を蓄積しているそうです。


もう少し顔認識ソフトの精度が向上すれば、お店に入ってきた客の名前や購買履歴や、次に何を買いそうかという予測までがすぐに分かってしまうシステムをつくることも可能です。
映画『マイノリティ・リポート』でトム・クルーズがショッピングセンターを歩くときに表示された電子広告も、技術的に夢ではなくなりました。
国民総背番号制度に強い反対があり、個人情報保護の意識が高まる日本から見れば、まだ対岸の火事かもしれませんが、用心するに越したことはありません。


WEB2.0のブームも過ぎ去ったいま、絶対計算のすばらしさ、恐ろしさを本書で知ることは、次の社会潮流を先読みすることになるでしょう。