人の痛みを感じる国家


著者:柳田 邦男  出版社:新潮社  2007年4月刊  \1,470(税込)  219P


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著者の柳田邦男氏は、1936年栃木県生まれ。1960年に東京大学経済学部を卒業したあとNHKに入局し、社会部記者を経験したあとノンフィクション作家として独立しました。
小説を読んでもつまらなく感じるようになった20台後半の頃、私もよく柳田氏の著作を読ませてもらいました。航空機事故の原因を追及するルポルタージュや、ジャーナリストとして事実を追求する姿勢に言及した『事実の時代に』、『事実を見る眼』『事実の読み方』などのエッセイを読み、一つひとつ事実を積みあげていく執筆姿勢に魅了されたものです。


その柳田氏が自分の家族の死、それもただの死ではなく心を病んだ末に25歳の息子が自死を図るという事件に出会います。
脳死状態に陥った息子との最後の日々を送りつつ、自己犠牲に思いを馳せていた息子のため、悩みながら臓器提供を了承して死を受け入れた体験を明かしたのが1995年の『犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日』という作品です。
柳田氏の慟哭に接した私は、その後しばらく氏の著作から離れていましたが、その間、柳田氏は『いのち―8人の医師との対話』『人間が生きる条件』等、生と死を見つめる作品に傾斜していったようです。


社会的安全を追求するジャーナリストとしての活動が復活したと感じ、『キャッシュカードがあぶない』を手にしたのは2年前のことです。(2005年3月31日ブログ参照)
カード犯罪が増えているにも関わらず、銀行も警察も対策を打たずに放置してきた現状を告発する内容は、とても読み応えがありました。
その後、柳田氏は現代の日本社会の間違いを正し、日本の進むべき道を示唆する連作を開始しました。『壊れる日本人』、『石に言葉を教える 壊れる日本人への処方箋』に続く著者の日本人論第3弾が本書『人の痛みを感じる国家』です。雑誌『新潮45』の2006年分の連載をまとめました。


本書には、次のような柳田氏の現代日本に対する嘆き、怒りがあふれています。


ネット社会の匿名での発言の不気味さを憂慮する
  「名を隠す日本人、お前は何者か?」と
  「個人情報保護でこの世は暗黒へ」、
テレビやパソコンが子どもに与える影響を憂慮する
  「ITバブルと脳内汚染」、
行政の怠慢を厳しく糾弾する
  「被害者の死を待つ被告人・国家の怪」と
  「人の痛みを感じる国家は創れるか」、
切り捨てられた故郷の山河が荒廃していく様子を嘆く
  「パソコンと棚田」と「続・パソコンと棚田」、


いちいち、おっしゃることはごもっともなのですが、あまりに極端な物言いもあり、反発を覚える内容もありました。
匿名で暴言を吐き散らすネット住民は確かに不愉快ですが、リアル社会でもいたずら書きを書いたり、大声を出して隣人に迷惑をかける不心得者は存在します。むしろ、ネット社会に実名を義務づけるなどの息苦しい規制が行われれば、容易に監視社会に道を開いてしまうという問題もあります。
また、「小中学校からパソコン排除を!」という小泉総理宛の提言は、アナクロニズムさえ感じさせる内容でした。
ついつい、著者が昔を懐かしんでいるだけの単なるガンコジジイに見えてしまいます。


しかし、権力を監視し、時代に流されず言うべき事は言う、というのがジャーナリズムの使命とすれば、柳田氏の言説は、優れてジャーナリスティックな内容です。
日本中がバブルに熱中したような愚を繰り返さないよう、こういう硬派の言うことにも耳を傾ける必要がありそうです。


そう思い直して読みすすむと、最後の2章「人間到る処青山あり」と「“新老人ジュニア”青山探しの旅」は、ふっと現実の生活から離れて、人生を考えさせられる内容でした。

「人間到る処青山あり」には、出版社OBの友人が新潟県の北端にある山村に山荘を建て、蔵書を持ち込んで読書塾をはじめたことが紹介されています。
この友人、偽造キャッシュカードで銀行口座から預金を取られた例として『キャッシュカードがあぶない』に登場しました。妻を介護の末に亡くすという大事件のさなかに退職金まで失ってしまうというダブルパンチを受けたのでした。裁判を通じて銀行からやっとお金を取り戻した友人は、妻の仏前に「決めたよ。少し勝手をやるよ」と言って、山荘で読書塾を開始することを報告しました。『石に言葉を教える――』では山荘の建築開始が紹介されており、本書では、そのオープニングイベントに招かれて出席した様子が描かれています。


柳田氏が感動したのは、友人の行動が村人から感謝の気持ちをもって受け入れられていることで、特に友人が「心底、私のためによかった!」と喜んでいることに深い感慨を覚えました。


そして最後の章「“新老人ジュニア”青山探しの旅」では、読書塾をはじめた友人に刺激され、そろそろ終の棲家を決めることを考えはじめます。もう70歳を超えた著者も、まだ10年、20年と執筆活動を続けたい。ここに骨を埋めてもいい、と思える場所でマイペースで書きつづける人生を送りたい。と考えます。


それには、どこがいいか。


柳田氏の“青山”の候補として、前号で紹介した鎌田實氏の諏訪中央病院が挙げられます。病院のアットホームな雰囲気がよく、地元のボランティアの人が整備してくれた庭の雰囲気が特に気に入りました。
その他、やはり長野県の川上村や佐久市も候補として名を連ね、信州以外にも“青山”の候補が散らばっていることに気付き、柳田氏は次のように本書を結びました。


  ふと気がついたのは《この国はまだまだ捨てたものではない、人情味
  あふれるすばらしいところがいっぱいあるではないか》ということ
  だった。


よかった。まだ日本は、捨てたものじゃないんですね。