7月11日に知研セミナーに参加してきたので、内容をご紹介します。
「知研」とは
「知研」というのは、「知的生産の技術研究会」というNPOで、約650人の会員が参加しています。
梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』に触発され、個別的な自分の生き方に役立つ学びの方法を教える「もうひとつの学校」をつくることを目的に1970年に誕生したといいますから、もう37年目を迎える歴史ある団体です。
この日の講演は
ジャーナリスト北岡和義氏が、「日本とどこが、何が違うのか〜ジャーナリストが目撃した米国」というテーマで、アメリカと日本の違いを比較しながら、「このままでは日本はつぶれる!!」と問題提起する内容でした。
講師の北岡和義氏は、1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発の1週間後に岐阜県に生まれました。南山大学卒業後、東京オリンピックで日本中が沸きかえっていた1964年に読売新聞社に入社。翌年から北海道支局に転勤し、6年間の支局生活を送ります。縁あって、後に北海道知事になる横路孝弘議員の公設第一秘書を務めたあと、東京にもどって日刊ゲンダイ創刊準備スタッフ、フリージャーナリストを経て、1979年にアメリカに渡りました。
私は北岡氏のお名前を初めて聞いたのですが、それもそのはず、その後26年間、アメリカと日本を行ったりきたりしながらも、主にアメリカのテレビ媒体を中心にジャーナリスト活動を続けてこられました。
日本では、三浦和義事件(サッカーの三浦知良じゃありませんよ。覚えている人は、もう中年世代ですねえ)を扱った『13人目の目撃者―三浦事件「ロスからの報告書」』を出版されたあと、しばらく本を出しておられません。
新聞記者、代議士秘書、渡米、邦字紙編集長、テレビ記者(キャスターも?)という、日本人としては変わった経歴を持つ北岡氏の講演です。面白くないわけはありません。
講演の内容は、「知研」の機関誌に掲載されますので、私の印象に残った言葉を2,3紹介させていただきます。
- ジャーナリストに必要なのは、1%と正義感と99%のセンセーショナリズムだ。
- 日本のメディアは体制化してしまった。自分のような型破りな人間は、もう記者になることはできない。
- 1970年代から1980年代の米国人は、日本を憧れの目で見ていた。1990年代になって米国人の視線は、落ちた偶像を見る目に変わった。