もう愛の唄なんて詠えない


著者:さだまさし  出版社:ダイヤモンド社  2007年1月刊  \1,890(税込)  235P


もう愛の唄なんて詠えない

ダイヤモンド社が発行する「テレビ・ステーション」という雑誌の同名連載2005年分と2006年分に加筆修正したエッセイ集です。
全国コンサートツアーの旅先で出会ったり再会した人の話が出てくるかと思えば、WBCで世界一になった日本チームに感動したり、28億円の借金に苦しんでいた頃を思い出したり。
シンガーソングライター・さだまさしのこの2年間の活動と心の動きを伝えています。


何を隠そう、わたくし、さだまさしファンです。(キッパリ!!)


もう20年以上前に、お笑いタレントのタモリさだまさしを「ネクラ」と言い、さだバッシングが起こったことがありました。それ以来、「ファン」と言いづらい時期もありましたが、もう大丈夫。
私も、さだまさしファンであることをカミングアウトしましょう(笑)。


とはいえ、歌手や芸能人の好き嫌いは、個人的な感覚の問題です。さだまさしファンにはたまらないこの本も、さだまさしを嫌いな人が興味を持つのは難しいでしょうねえ。
そういう方は、今日は読み飛ばしてくださいねー。



さて、この本を読んで、あらためて思ったのは、
  やっぱり、この人は、「誇り」とか「共感」、「励まし」、「希望」
  を大切にする人なんだ。
ということでした。


この本を読んで感動した場面、お伝えしたいことは山ほどありますが、2つだけ紹介させていただきます。


ひとつは、新潟県山古志村の人々との交流です。
2004年に新潟県中越大震災が起こる3年前の2001年の春。画家の原田泰治氏とさだまさしは、念願していた2人のぶらり旅のロケでこの地を訪ねます。
旅をしていて、2人が気に入った村や町に出逢ったら、原田氏がそこで1枚の絵を描き、さだまさしが一曲歌を作る。NHKで実現したこの企画で山古志村を訪ねた二人は、あちこち見て回ったあと、小さな橋の上で足を止めました。
そこから見た景色を原田氏は「雪深い村」という題の絵にまとめ、さだまさしは「春待峠」という歌を作ります。村人は、椅子を出してくれたり、山菜をお土産に持たせてくれたり、けんちん汁をごちそうしてくれたり、総出で迎えてくれました。
それは、懐かしくて暖かい思い出でした。


そんな村を、2004年10月23日大地震が襲います。
さだまさしは村の人たちの安否に心を砕きますが、コンサートツアー中で、動くに動けません。コンサート会場に置いた募金箱に寄せられた義援金を持って、原田氏と長岡市の災害対策本部を訪ねたのは、一ヶ月以上過ぎてからでした。


訪ねた避難所で再会した知人から、あの絵を描いた橋も、絵の中の家も水没したことを聞きました。
それでも生命だけは助かった被災者の人々に懸命に声をかけて歩きます。
一人の男性に「歌ってよ」と言われてギターを手にとりますが、山古志村で書いた「春待峠」は切なくて歌えません。代わりに都会で一人暮らしをする家族を心配する気持ちを唄にした「案山子」を歌いました。
ジーンと心にしみる歌に泣き出す人もいます。
もっと景気のいい歌を、と泣き笑い顔でリクエストされ、
  「ごめんね、俺の歌、景気の良いのが無いのよねえ」
と言うとみんながやっと大声で笑いました。
北の国から」をみんなで歌い、さだまさしは、何度も声を詰まらせます。


避難所から東京に帰ってきても、自分にどういう応援が出来るか、考え続けるさだまさしでした。



もうひとつは、「風に立つライオン」という歌を作ったきっかけと反響について書かれた一文です。
曲の解説を「ライナーノート」と言いますが、さだまさし本人が書いた文章は、音楽評論家が書いたライナーノートとはひと味もふた味も違います。素晴らしい内容です。


1987年にリリースした『夢回帰線』というアルバムに収録されている「風に立つライオン」は、かつての恋人からの手紙への最後の返信という形を取っています。
手紙を書いた青年は、アフリカで辺地医療に従事するために日本を離れ、雄大な自然に圧倒されながら、貧しい人々と共に病と向かい合っています。その中で感じる人知を超えた存在への思い、祖国が失ったものへの思いをしたため、もうすぐ結婚するかつての恋人への祝福の言葉で手紙を結びます。


さだまさし自身が書いているのは、この青年には実在のモデルがいて、恋人との別れ以外は、本人から聞いたアフリカでの経験談が元になっている、ということです。
しかし、その青年の「逆風の中にあっても胸を張って生きてゆくのだ」という「決心」と「志の高さ」が作品に結実するのは、最初に出逢ってから15年後のことでした。
モデルとなった医師は、自分の経験が何らかの役に立てて嬉しい、と感想を述べたあと、「僕もこの歌の、あなたのライオンに近づきたい」とまで言ってくれました。
この歌は、その後広く医療従事者に受け入れられ、「風に立つライオン」というNPO法人も作られました。
また、『がんばらない』で知られる鎌田實医師らがこの歌を聞いて、
  「俺らもライオン程じゃねえけどさ、ま、八ヶ岳に立つ野ウサギって程には
   頑張らなくっちゃな」
と僻地医療に取り組んでいます。


最後に、さだまさしの次のような決意が書かれていました。
  いずれにせよ、たかだか一つの歌が、誰かの心の支えになることがあるのだ、
  命懸けで作らねばならぬ、と改めて自ら身の引き締まる思いがする。


曲を作った本人の書いた、このライナーノート1編だけでも、本書を読む価値があります。


さだまさしを良く知らない方も、読み飛ばさずに、ここまでお付き合いいただいたのであれば、ぜひ本書を手に取ってみてください。