複眼の映像 私と黒澤明


著者:橋本 忍  出版社:文芸春秋  2006年6月刊  \2,100(税込)  306P


複眼の映像 私と黒澤明


著者は、戦後の日本映画界を代表するシナリオライターで、黒澤監督の『羅生門』『生きる』『七人の侍』などの有名作品を共同執筆した人です。
黒澤明監督は、全30作品のうち、はじめの6作品と最後の3作品をのぞき、すべてのシナリオを共同執筆で書いた監督です。(最初の4作品と最後の3作品は、黒澤監督自身の単独脚本)


本書は、この特殊な共同作業による脚本がどのように制作されていったか、どのような功罪があったか、という実態を、共同執筆者本人が明かした一書です。


黒澤監督とのシナリオ作成は、まず作品の方向を打ち合わせるところからはじまります。
作品のねらい、物語の場所や時代などの背景を決めると、まず、著者がたたき台となる第一稿を作成し、黒澤監督のもとへ持参します。
黒澤監督は、息を詰めて、顔を動かさず、緊迫した雰囲気で1ページずつめくっていきます。すべてを吸収するかのような原稿読みのあと、作品をどう仕上げるかという打ち合わせがはじまります。
なかには、第一稿がどうしてもできなかったり、第一稿を書き上げたものの、そのままボツになってしまうケースもありました。


著者と黒澤監督の呼吸があった作品は、いよいよ完成稿へ向けて仕上げ作業に入ります。


日本旅館に長期宿泊した黒澤監督と共同執筆者たちは、通常は朝10時に原稿執筆を開始。昼食をはさんで午後の5時まで一心不乱に原稿を書きます。
意外にも、シーンを分担することはせず、同じシーンを同時に執筆し、おたがいの原稿を組み入れたり、一方をボツにしたりしながら、コツコツと作品完成に向かって歩みを進めます。


七人の侍』までは、著者も納得するできばえのシナリオができ、特に『七人の侍』は、著者自身が「黒澤作品の中で一番面白かった」と賞賛する作品に仕上がりました。
しかし、その後、「あらかじめ第一稿を用意する」という手順を省略して「いきなり決定稿」という方式に変更してから、不出来な作品がめだつようになりました。


著者は、断腸の思いで、「黒澤明は芸術家になったために失敗したのである」とまで言っています。


黒澤監督が死去して8年。今年88歳になる著者が、
  「その概要、いや、一端だけでも書き残すことが、この世にただ一人だけ
   生き残った黒澤組のライター、私の責務ではなかろうか」
という思いで書いた文章は、どのページを開いても、遺言のような重みがあります。


映画とは何か、と考えさせられる一書でもありました。