それでいいのか蕎麦打ち男


著者:残間 里江子  出版社:新潮社  2005年9月刊  \1,470(税込)  254P


それでいいのか 蕎麦打ち男


「2007年度問題」って知ってますか。
敗戦直後のベビーブーム世代が定年をむかえて、いっせいにベテランの技術者がいなくなったら、いろいろ大変だ! ……という、もともとはIT業界で使われていた言葉です。


企業内の技術の伝承や、世代バランスがくずれる、といった経営的な問題はさておき、退職する人々はどのような後半生を送ろうとしているのでしょうか。
仕事いっぺんとうだった男が、何か趣味を持とう、と思って「蕎麦打ち」をはじめるケースも多いようです。
でも、1950年うまれで「団塊世代」のはしくれを自認する著者は、なんだか納得がいきません。


団塊の世代というのは、自分を変え、世の中を変えたいと思って熱く生きてきたんじゃなかったのか。
団塊男たちよ、陶芸教室に通ったり蕎麦打ち教室に通ったり、習い事をしているだけでいいのか。
団塊女たちよ、「私だって、今にきっと」と、乙女の夢のようなことを言って、「出るべきとき」を探し続けているだけでいいのか。
一生自分探しの旅を続けていていいのか。
えーっ! そこんとこ、どうなのどうなの! ……という厳しい問いで本書ははじまりました。


団塊の世代」は、戦後民主主義と戦前保守主義の狭間で育てられた世代で、革新的なようで保守的、男女平等を掲げながら根は男尊女卑、という価値観の持ち主です。
著者自身は、短大卒業と同時に地方アナウンサーとしてはたらきはじめ、その後、雑誌記者・編集長、企画会社社長と転身しながら、仕事に注力して生きてきました。
しかし、まわりの団塊の世代の女たちの多くは、身につけた学歴を社会で活かすことなく、主婦業に専念しました。


そんなに結婚って大切なのか、と著者が結婚に踏みきったのは、仕事が行きづまっていたころ。閉塞していた毎日に風穴を開けたかったのです。
しかし、実際結婚してみると、期待したほどの変化は起きませんでした。
「結婚」で変わらなければ、あとは「出産」しかありません。
後年、高齢出産に踏み切るも、人間の価値観というものはそう易々とは変わらないことを実感する結果に終わりました。


一応、やるべきことはやってみた著者は、同年代の男女にむかってエールを
送ることにしました。
  「新しい中高年のライフスタイル創造をプロデューサーとしての
   最後の仕事にしよう!」


ただし、ただーし! 著書が団塊の世代に向ける視線は、とても厳しいのです。
かつて、妻の行く先々に「ワシもいっしょに行く」と付いてくる定年後の夫を揶揄し、「恐怖のワシ男」と命名したのは、何を隠そう著者なのです。


そんな著者が同年代に向ける鋭い舌鋒を、ちょっとだけ紹介しましょう。
  今見ると、まさかと思うような薄毛男にも、好きな女を北海道の湖畔ま
  で追いかけて行った思い出があったり、ここ数年、洋梨のお化けのよう
  胴回りになってしまった女にも、その昔、失恋をして京都・大原三千院
  に一人旅をしたというような歴史があるのが、団塊の世代なのである。


残間さん、だいじょうぶですか、こんなひどいこと言っちゃって。
こんなこと面と向かって言ったら、刺されるかもしれませんよ。
それだけ、団塊の世代を鼓舞したいという著者の意欲が強い、ということでしょうか。


思い当たる年代の方は、心してお読みください。



最後に、団塊の世代より若い世代へのアドバイスをひとつ。


「いゃぁ、僕も年で……」と言っている人生の先輩に向かって、「いずれは、みんな年をとるのですから……」などと返してはいけません。
なぜなら、こういうことをいう人は、内心「まだまだ若い」と思っていて、その確認のために、「いゃぁ、僕も年で……」と言っているのです。
「とんでもない、お若いですよ」と返してあげるのが正解、とのこと。


団塊の世代でなくても、勉強になる一書でした。