著者:北 康利 出版社:講談社 2005年8月刊 \1,890(税込) 405P
戦後の歴代総理大臣人気調査によると、ベストスリーは、
第1位 吉田茂
第2位 田中角栄
第3位 小泉純一郎
だそうです。
あと10年後も小泉首相の人気が継続しているかどうかは分かりませんが、死後40年近い吉田茂が首位をしめているというのは、ちょっとした驚きです。
今回とりあげるのは、その吉田茂の側近であり、占領期の日本を背負って活躍した白洲次郎の評伝です。
白洲次郎は、明治35年(1902年)兵庫県芦屋に生まれました。
三田藩の儒学者だった祖父・白洲退蔵を尊敬し、裕福な経済力を背景に英国ケンブリッジ大学に留学。
高額なスポーツカーを乗り回す高等遊民の青春を過ごします。
日本に帰って英字新聞社に勤めながら、社交界の花形だった樺山伯爵家の次女正子にアプローチ。スポーツ万能、身長185センチ、端麗な容姿で求婚に成功しました。(夫人は、後に作家・随筆家として有名になった白洲正子氏)
その後、貿易会社勤務時代に海外に赴くことが多くなり、駐イギリス大使だった吉田茂と知りあい、牛場友彦や尾崎秀実と共に近衛文麿のブレーンとして活躍するようになった、と伝えられています。
苦労しらずのお坊ちゃまのような前半生を送った白洲次郎は、敗戦と共に吉田茂の側近としてGHQとの交渉現場に立ち会いました。
占領軍であるGHQにはとても逆らえない、という風潮のなか、白洲は、「日本は戦争に負けたが、奴隷になったわけではない」という信条で交渉にのぞみました。
英国仕込みの流暢な英語を武器に、原理原則を重視し、主張すべきところは頑強に主張します。
昭和天皇からのクリスマスプレゼントをマッカーサーの事務所に持参した際のエピソードは有名です。
たくさんの贈り物に囲まれたマッカーサーが、そこいらに置いておくように言ったところ、
「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置いてくれとは何事か!」
と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしました。
あわてたマッカーサーが、急いで机を用意させたそうです。
GHQ要人に「従順ならざる唯一の日本人」と言われた白洲でしたが、占領軍との交渉は困難をきわめます。
中でも、本書でもクライマックスとして取りあげているのが、日本国憲法原案を策定する交渉現場です。
(緊迫のやりとりの経過は、実際に本書をお読みください)
暗い戦争の延長で、暗い話題しか語られることのない占領期の日本。
その日本の戦後処理を背負った、こんな人物がいたことを初めてしりました。
本書を読むまえのマッカーサーのイメージは、
軍国ニッポンの悪い部分を解放してくれたいい人
というものでしたが、朝鮮戦争に原爆の使用を目論んでいたことをはじめ、決して「いい人」とはいえない側面があることを知りました。
本書の帯に城山三郎氏の推薦文が載っています。
筆者が意識したのかどうか分かりませんが、その場に居合わせたような会話文を多用するあたり、城山氏の作風とよく似ています。
政界、財界の大物の評伝をいくつもてがけている城山氏ですから、白洲次郎を取りあげた作品があってもおかしくありません。
城山ファンなら、本書を手にとってみて損はないと思います。