東京タワー


副題:オカンとボクと、時々、オトン
著者:リリー・フランキー  出版社:扶桑社  2005年6月刊  \1,575(税込)  449P


東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~


著者はコラムや小説のほか、作詞や作曲もこなし、イラストレーターやデザイナーの顔も持つマルチ人間です。著者はじめての長編となる本書は、著者とオカンの思い出をつづったノンフィクションです。


著者が3歳のときオトンと別居したオカンは、女手ひとつで一人っ子の彼を育てはじめます。生活は苦しかったのですが、高校入学と同時に親元を離れた著者への仕送りが途絶えることはありませんでした。
著者はオカンの苦労を見て育っていますから、親孝行するのが当たり前です。ところが、現実の著者は、やっと大学を卒業したあと就職もせず、ぷらぷらして過ごしました。一時期は、サラ金のカードを5枚も6枚も使いまわす生活に陥ります。
30歳を過ぎ、少しずつ仕事の依頼も増えて事務所と住居を分けられるようになった時、著者はオカンを東京に呼んでいっしょに暮らすことにしました。


オカンは「若い人はみんなお腹がすいている」と信じています。いっしょに暮らしはじめると、家にやってくる息子の友人たちにご飯をふるまうことがオカンの仕事になりました。息子が夕飯までに帰ってこなくても関係ありません。息子ぬきのにぎやかな夕食がはじめられ、みんなにお給仕するオカンは楽しそうでした。
少しずつ生活が良くなるなかで、ときにオカンを鬱陶しく感じることもあります。そんなとき著者がつぶやいたのは、「オレ、いま反抗期なんだ」という言葉でした。高校に入学するときから離れて暮らしていたので、反抗期を経ていなかったのです。


まだオカンが上京する前、大好きだったばあちゃんが亡くなりました。訃報を聞いた著者は、ばあちゃんに何もしてあげられなかった悔しさに泣き、人は本当に死んでしまうのだということに驚きました。
それ以来、いつかオカンが死んでしまうことを密かに恐れていた著者でしたが、容赦なく病魔がオカンにおそいかかります。長い戦いの末にオカンが死んでしまうまでのできごとを、著者は一つひとつなぞっていきます。


オカンが死んでから何年か経ちましたが、著者は淋しさを隠そうとしません。絶叫するでもなく、紋切り型で済ますわけでもなく。
淡々と悲しみを語る著者の口ぶりから、ノンフィクションならではの真情が伝わってきます。
  「オカン。
   あれから、何年か経ったけど、今でもボクは淋しいでたまらんよ。
   なにかっちゅうて、いつもオカンの姿を思い出しよる」
  「オカン。
   今までいろいろ、ごめんね。
   そして、ありがとうね。
   オカンに育ててもろうたことを、ボクは誇りに思うとるよ」


母と子の物語を軸に、父と子、友情、なにより著者の青春が語られている本書です。読む人によっていろいろな場面に感動することでしょう。
私がいちばんグッときたのは、著者の思いやりの深さでした。


中でも、オカンの弟が自殺してしまったときのこと。
そんなことをする弟の葬儀には出ない、というオカンに向かって、著者は諭します。
  「おいちゃんは立派に働いて、子供も育てて頑張ってきたんやけん。
   そのおいちゃんが自分で決めたことなんやけん。
   若いもんのする同じこととは違うんよ。
   明日の朝一番の新幹線で行ってやり」


あんなにオカンにお金の苦労をかけた著者が、いつの間にこんなに思いやりの深い人間に育ったのでしょう。
そんなに思いやりがあるんだったら、もっと早くオカンを楽にしてやれよ!
今ごろになって、そんなにいいヤツになるなんて、ずるいよ……。