旅の途中


副題:巡り合った人々1959−2005
2005年11月刊  著者:筑紫 哲也  出版社:朝日新聞社  \1,890(税込)  425P


旅の途中―巡り合った人々1959-2005


そろそろ回想録を書いてはいかがですか、と提案されて、著者は考えました。
ジャーナリストとして歩んできた自分は、何かを成し遂げてきたわけではない。むしろ、いろいろな形で「弥次馬」として関わってきた他人様を書くことで、かえって自分を表現できるのではないか、と。
といっても、交友関係は広く、語るべき取材対象も多岐にわたっている著者ですから、取りあげたい人を全て書いていたら、いったいいつ終わるのかわからなくなります。本書執筆に当たって決めた方針は、「一業種一人」という制限です。
ですから、「ニュース23」のエンディングテーマを作曲して歌ってくれた井上陽水も、朝日新聞社内で認め合った“畏友”石川真澄も、他の人物のエピソードの一部に登場するだけです。筑紫ファンには若干もの足りない気もしますが、確かにこの一冊を読めば、著者の歩んできたジャーナリスト人生、反体制的な生き方が俯瞰できます。著者の意図通りといってよいでしょう。


私があらためて感じたのは、筑紫氏の文章の魅力の一つは詩的表現にある、ということでした。
絶筆『我、拗ね者として生涯を閉ず』の完成を目前にし、壮絶な最後を遂げた本田靖春氏を追悼して著者は書きました。
   昭和は遠くなり、20世紀は去り、そして「戦後」が終わろうとして
  いる。その時代を大所高所から俯瞰する通史はいくらでもある。が、そ
  の時代を生きた個々人の息遣いはそこからは伝わってこない。まして弱
  者、敗者、虐げられた者たちの姿は見えない。
   そこに分け入って行くノンフィクションの王道を貫いたのが本田靖春
  の作品群であると私は思う。


また、團伊玖磨氏の回想のマクラを次のように綴っています。
   作曲家には二通りがあって、オペラ(声楽)を書ける人と交響曲(器
  楽)を書ける人とに分かれる。(中略)
   例によって唯一の例外はモーツァルトだが、この人が本当に人間だっ
  たかは怪しい。神からの人類への贈物だとか、悪魔の化身だとか言われ
  てきた存在である。


ジャーナリストが身上とすべき「わかりやすい文章」から少し外れるかもしれませんが、読者の心に染みる、魅力に満ちた文章です。


それにしても、仕事とはいえ膨大な取材相手と接触して、よく人間嫌いにならないものです。
前回取りあげた本のタイトル『そんなに読んで、どうするの?』になぞらえて言えば、『そんなに人に会って、どうするの?』というところです。
同じ感想を抱いた視聴者からの言葉、
   「人あたりしませんか?」
に同感しました。


著者は、自分の勤務していた朝日新聞社を折に触れて批判していますが、本書では、次のように、ちょっとだけ“自粛”しています。
   この運動(無党派市民連合)に加わった私は、会社の就業規則に触れ、
  サラリーマンとしては極刑の停職3カ月処分となるが、その委細は今回
  の稿では省く。


笑っちゃったのが、忙しすぎる小澤征爾を心配して、本人に言っても通じないからと家族に言ったら、娘の征良さんに笑われたそうです。
  「その通りだけど、あなたが言うのはどうかと思う」と。


もっと笑っちゃうのが、しばらくしてから、同じ征良さんから言われた言葉。
   「だれの言うことも聞かない。
    言ってもらえるのはあなたぐらいしかないかも」


お薦めです。