ハードワーク


副題:低賃金で働くということ
2005年7月刊  著者:ポリー・トインビー【著】 椋田 直子【訳】
出版社:東洋経済新報社  \1,890(税込)  305P


ハードワーク~低賃金で働くということ


英国ガーディアン紙の女性記者が、最低賃金で働く者の生活を体験した、一種の「潜入取材」記録です。


著者は、もう四半世紀以上前の新人記者時代に、いろいろな肉体労働を体験して記事を書いたことがありました。それを知ってか知らずか、ある日、英国国教会から「四旬節《レント》の40日間、時給4.10ポンド[820円]という最低賃金で暮らしてみませんか」という提案の手紙が届きます。
迷った末に提案を受け入れた著者は、少しでも底辺労働者の境遇を理解するために、ジャーナリストとして仕事をする才能を封印し、家も、年金積み立てや貯金もなく、家族や友人たちもいない設定で生活をスタートします。


著者が確保した住まいは、不潔で悪臭に満ちた低所得者向けの団地の一室でした。ベッドや最低限の家具を購入し終わると、限度いっぱいまで借り出した低所得者向けの貸付金はほとんど底をついてしまいます。
仕事が決まると同時に生活保護は打ち切られ、著者は「最初の給料日までどう暮らしたらよいのだ」と、憤りに駆られました。


実際に著者が経験した仕事は、荷物の運搬係、給食のおばさん、託児所、飛び込み電話セールス、早朝清掃、ケーキ製造所、老人ホームの介護補助など。
著者は職探し段階から担当者の気まぐれに振り回されます。バスを乗り継いで応募書類をもらいに行き、またバスを乗り継いで書類を提出し、またバスを乗り継いで指定された日に面接を受けに行く。靴底をすり減らしてはるばる出向いたのに、担当者が代わったからといって追い返されたりもしました。
やっと採用されても、待っているのは過酷な肉体労働と仕事のじゃまをする規則の数々。たとえば、老人ホームのトイレで受け持ちの老人が倒れたとしても、老人に手を貸してはいけない。定められた器具を使わなくてはいけない。もし何か事故があっても雇用主は責任を取りません。


あらゆる不条理を経験した著者が政治に向ける言葉は激烈です。


  金持ちはさらに裕福になり、貧しい者は所得と資産の両面で取り残され
  る時代が始まったのだ。


  ほかのすべての人たちが生きている消費社会への「立ち入り禁止」。
  過酷なアルパトヘイトだ。


  私たちは、孫子の世代に向かって、この状況を正当化することができる
  だろうか。人間は生まれつき、公平と不公平を見分ける素朴な感性を持っ
  ていると思う。その感性に照らして、現在の状況は公平ではない。


  貧しい人たちが飢えていないのなら、それでいいじゃないか、といえる
  だろうか。いえない、と私は思う。


経験と理論の両面から訴える社会正義は説得力があります。


イギリスの貧困層について書いた本書を読むと、じゃ日本はどうなのか、と気になります。しかし、本書の翻訳者は翻訳のプロであり、政治・経済のプロではないので、「英日の比較を深めることは手に余」る、と訳者あとがきに書いてありました。


日本の現状分析は本書では読めませんが、参考となるアメリカの現状について、著者は次のように書いています。


  もっともショッキングだったのは、米国のほうが事態ははるかに悪い、
  という事実だった。社会保障が整っていないため、死にたくなければ働
  くしかない。当然、就職率は高くなるが、これはいわば強制労働のよう
  なものだから、賃金が低く抑えられる。


  ウィル・ハットンによると、保守的知識層が何十年も権力を握ってきた
  米国では、富裕層が強固な足場を固め、貧困層には侵入不可能な社会が
  形成されているという。ヨーロッパ諸国よりはるかに硬直化し、流動性
  を失った社会だ。アメリカン・ドリームはもうない。富める中流階級
  土台は堅固で、つぎの世代が転落する危険もなければ、下にいる人たち
  がよじ登ることもできない。


日本が悪い意味でアメリカの後を追わないよう願うばかりです。