731


2005年8月刊  著者:青木 冨貴子  出版社:新潮社  \1,785(税込)  391P


731


731部隊とは、第二次世界大戦中に満州の平房に存在した日本陸軍の部隊です。
「防疫給水部」という外向けの名称を用いながら細菌化学兵器を開発していました。中国人を実験台にしていた、中国領土で細菌をまいたことがある、という情報を得ていた米軍は、マッカーサーの来日と同時に責任者のイシイ隊長の行方を探し始めました。探す目的は、戦争裁判にかけることではなく、彼の持っている人体実験データを入手するためです。
731部隊の石井隊長を探し出した米軍は、免責(罪を問わない)の約束と引き換えに貴重なデータを入手しました。本来なら「極東軍事裁判」で戦犯として裁かれるべき石井隊長と部下たちは、結果的に一人も被告席に立つことはなく、石井隊長は「俺がお前たちを救ってやった」と豪語したという話も残っています。
本書は、今まで闇に葬られていたこの間の事情――中国で非人道的な兵器開発を行った軍医たちがなぜ罪を問われなかったのか、どのように戦後の混乱期に米軍と駆け引きを行ったのか――を追うリポートです。


本書は、石井隊長の故郷を丹念に取材していた著者が、この時期の彼の行動をメモした直筆のノートを発見したところから始まります。著者は他の資料とつき合わせながら、これまで誰も知らなかった事実を明かしていきました。


石井隊長と部下たちを免責してまで米軍が細菌兵器の人体実験データを手に入れようとした心情を、著者は「禁断の兵器」という妖怪に取り憑かれたのだ、と喝破します。この誘惑に取り憑かれたのは、マッカーサーばかりでなく、トルーマン国防総省の高官、さらにはソ連軍とスターリンも同様でした。
彼らは、日本軍が行った非人道的な兵器開発を裁くよりは、自分たちが非人道的な兵器を手にすることを選んだのです。



憑き物の落ちた石井隊長は静かに余生を終え、罪を問われなかった部下たちは、戦後の日本医学界の重鎮となっていきました。
その中の一人、内藤良一は「ミドリ十字」の前身「日本ブラッドバンク」を設立しました。「ミドリ十字」といえば薬害エイズで有名になりましたが、製品の安全性より企業利益を重視した社内体質は、内藤氏の金銭勘定と強引なビジネス感覚にはじまる、と著者は指摘しています。


米国に渡ったことが確認されている人体実験リポートと八千枚の病理標本は、未だに発見されていないものも多い状態です。
1986年、米下院復員軍人委補償問題小委員会で、米陸軍の文書管理官が、「50年代後半から60年代はじめにかめて実験ノートなど詳細を記録した文書を日本へ返還した」と証言しました。
同年9月19日付朝日新聞によると、国立国会図書館は確かに文書が返還され、初めは外務省復員局に渡され、その後、防衛庁に移されたはずだ、と返答しました。しかし、防衛庁は現在にいたるまで「知らない」という答えを変えようとしていません。


よもや、「妖怪」が防衛庁に憑いていることはないと思いますが……。


第二次大戦の前から日中戦争がはじまっていた、ということを私が知ったのは、18歳の時でした。学生時代の先輩の部屋で本多勝一著『中国の旅』を手に取ったのがきっかけです。手に取ったはいいものの、はじめて知る日本軍が犯した残虐行為のすさまじさに驚き、私はそのまま本棚に戻してしまいました。
森村誠一の『悪魔の飽食』が話題になったときも、書店でパラパラッと立ち読みして本棚に戻しました。その後、絶版になるかもしれないと思って購入したものの、今もカバーをして目立たない状態で本棚の奥に眠っています。
歴史の真実であれば日本人として知っておかなければならない、と思う反面、やはり、あまりむごたらしい内容を生々しく想像したくない、と私の中の何かが抵抗するのです。


日本人として誇りを持ちたい、残虐行為を日本人がしたなんてことは信じられない、信じたくない、という人々が本多勝一氏や森村誠一氏をバッシングして「自虐史観」と非難しています。きっと、私の心の中で抵抗している何かを多量に持っている人なんでしょう。


そんな私も731部隊の行為を少しだけ直視したことがあります。五味川純平著『戦争と人間』の確か17巻(ひょっとすると第18巻だったかもしれません)で、主要登場人物だった中国人富豪の娘が抗日運動家として日本軍に捕らえられました。731部隊で人体実験の対象になり、細菌に感染して死んでいく姿を最後まで読んだ私は、小説とはいえ、しばらく立ち直れない思いを抱きました。


そんな私が本書を最後まで読み通せたのは、本書が石井隊長の戦後の姿を焦点としているからでした。


さて、本書に描かれている「禁断の兵器」は細菌兵器ですが、なんと言っても人類最大の禁断の兵器は、核兵器です。
その核兵器放射能が人類に及ぼす影響を知りたい、何としても知りたい、という「妖怪」は、第二次世界大戦後の米国に取り憑いたようです。
今年の8月7日にテレビ朝日で放送された「ザ・スクープスペシャル」では、広島やビキニ環礁でデータを漁った米軍関係者の行動を追っていました。人種的偏見で非白人を実験台にした、ということは聞いていましたが、この番組で知った米国ネバダ州の核実験場での出来事は初耳でした。
なんと、キノコ雲の中に落下傘部隊を飛び込ませたり、核爆発直後の爆心に向かって部隊を進攻させたりした、というのです。また、アメリカ人の体にプルトニウムを注射し、その後の影響を観察したりもしていました。
自国の兵士や国民を人間モルモットにした米軍の姿は、まさに悪魔に憑かれた姿そのものです。


鳥越俊太郎長野智子がレポートする、なんとも重苦しい番組でした。