アメリカ資本主義を襲う危機


2000年9月刊  著者:日本経済新聞社編  出版社:日本経済新聞社  \1,680(税込)  277P


検証バブル―犯意なき過ち


最近、景気動向に明るい徴候が見えるようになりましたが、バブルが崩壊してから、日本経済は長らく低迷を続けました。いったい何でこんなことになったのか。誰がこんな日本にしたのか。責任者出て来い! と叫びたくなったこともありました。


レスター・サローが言っていました。
「『バブルと暴落』は資本主義にはつきもの」と。


17世紀のオランダに発生したチューリップ騰貴では、一つの球根がアムステルダムの小さな家が買えるほどの金額で取引きされたそうです。
球根ひとつで家が買えるのを異常と感じたとしても、高騰し続けている球根相場を目前にして「売り」を選ぶ勇気のある商人は少なかったに違いありません。
しかし、たとえ「バブル」が資本主義の遺伝子にインプットされているとしても、80年代後半の日本のバブルは度を越えていました。なぜ歴史的な大きさに膨らんだのか。そのバブルが弾けたあと、なぜ「失われた10年」とか「第2の敗戦」と言われるほどの長期低迷が続いているのか。本書は、そうした疑問に答えてくれます。


「バブル問題取材班」は、バブルがふくらむ起点となった1985年のプラザ合意からの15年間を検証し、バブルがどのように膨張して破裂したか、その後どうして長期低迷してしまったか、その経緯を明らかにしていきます。ページを繰ると、一度はニュースで目にしたはずの出来事があらためて思い出されました。
蔵相・首相を歴任した竹下・宮沢・橋本各氏や「鬼平」と呼ばれた三重野氏をはじめとする歴代日銀総裁がどのように重要な決断を下したか、それがどのような結果を招いたか。
それぞれの責任ある立場にあった人へのインタビューには
  「どうにもならなかった」
  「必要やむを得ない」
  「まさかこんなことになるとは予想しなかった」
等の繰言が次々と出てきます。興奮と熱狂を少しでも覚まそうとした冷静な指摘が下から上がってくることもありましたが、小さな「ノー」は取締役会に、ワンマン社長に、そして大蔵省にかき消されました。


取材班は言います。
  「犯意がなかったから過ちが許されるというのでは、
   バブルの教訓は生かされない」
しかし、当時の責任者に教訓を語らせるのは土台ムリな話です。
読者自身が自分で答えを導くしかありません。


私が特に興味深く感じたのは東京三菱銀行の例です。同行は都銀の中で最もバブルの負の遺産が少ないといわれ、それを背景にUFJ銀行とも合併話を進めています。
80年代後半、当時の三菱銀行が他行の収益力を分析した結果、
  「他行は不動産融資を急拡大している」
ということがわかりました。
しかし、収益力第5位まで落ちていた同行は「今さら動いても追いつかない」とあきらめました。後に「バブルに踊らなかった」と賞賛されることになったのも、単に「出遅れたに過ぎない」結果だったとは。


已んぬる哉。