画家の手もとに迫る 原寸美術館


2005年6月刊  著者:結城 昌子  出版社:小学館  \3,990(税込)  159P


原寸美術館 画家の手もとに迫る


ふつうの画集には、画家の作品の全体が印刷されています。画集を見つめる私たちは、ついつい名画の構図――どの位置に何が書かれているか――や主題に感心がいきます。
アートエッセイストの著者は、もっと画家の絵筆の動きを感じてほしい、美術史的な知識や文学的なイメージを捨て、細部をたっぷりと見つめてほしい、と本書を企画しました。


本書には西洋名画の全体図をまず小さく紹介したあと、著者が味わってほしいと思う部分を何箇所か原寸大で掲載する、という方法で30人の作品がほぼ一つずつ取り上げられています。
大きな作品でも草花の一本一本までていねいに描かれていることを発見したり、キャンバスの格子模様まで見える作品に画家の絵筆を感じたり、確かにいままでにない絵の見方ができるような気がします。


私が一番衝撃を受けたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』です。レオナルドがテンペラ技法を選んだ結果、壁に絵の具が染み込まず劣化が進んでいる、と知ってはいました。
しかし、単なる“知識”と実際に見るのとは大違い。
原寸大で見ると……、ひどい! こんなにボロボロになっているなんて! という惨状です。同じダ・ヴィンチの『モナ・リザ』にも一面にひび割れが入っているのがはっきり観察され、絵画を後世に伝えることの困難さを感じました。(ちと著者の意図と違うかも?)
かたやミケランジェロがフレスコ技法で描いたシスティーナ礼拝堂の天井画は、20世紀の大修復のおかげか、鮮やかな色彩が細部まで鑑賞できます。映画「ET」にも構図が取り上げられたアダムと創造主が指と指をもう少しで接触させる場面のアップ、もとい、原寸大絵画を見ていると、自分の手の倍くらいの大きさで描かれていることが分りました。天井画だから大きく描いた、ということが納得できます。


たぶん、本書中で一番大きい作品は、ナポレオンとジョゼフィーヌ戴冠式を描いた絵です。教科書で見たことのある有名な絵ですが、621×979cmもあるんだそうです。人物がほぼ等身大に描かれていますから、総勢150人以上の登場人物が誰かを特定できる、とのこと。いったい、どこに飾るのやら。ナポレオンの権勢欲の一端を見るような気がします。……が、こういう見かたをすると、また著者に叱られそうですね。


叱られついでに言うと、誰でも知っているピカソの作品を取り上げていなかったのが、ちょっと残念。
ピカソ展』で「ゲルニカ」のレプリカを見たことがありますが、縦3.5m,横 7.8mというその大きさにまずびっくりしてしまいました。
単に、著作権処理の問題でしょうか。それとも、「画家の手もとに迫る」という意図からすると、著者には面白みのない画家だったのでしょうか。
本書の手法を使えば作品の大きさが想像できると思うのですが……。


ところで、8月の猛暑のなか、丸ビルに「美の巨人たち」展を見に行きました。
同名のテレビ番組で取り上げた画家の絵を原寸大で展示するミニ展示会で、希望者にはプリンタ出力したおみやげももらえるという特典つき。(スポンサーのEPSON社製プリンタの宣伝も兼ねているので入場無料でした)
本書のように大きな作品の一部を原寸大で見る、というのもよいのですが、どうせ見るなら、大きな作品をまるごと原寸大で見た方が迫力満点です。


本書の冒頭に取り上げられているボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』が真っ先に目に入りました。絵の前に立つと、等身大の美の女神が一糸まとわぬ姿でこちらを見つめています。
中年の私がビーナスと視線を絡ませている姿を見られたら恥ずかしいなぁ、と思わず周囲を見渡してしまいましたが、幸い、誰も私のことなど気に止めていません。あらためて美の女神を見返してみましたが、虚ろなまなざしの奥に何かを感じる……ようなことはありませんでした。


「絵の中の女性に恋する」なんていう感性の鋭さを私が持ち合わせていないことを再確認。涼しいビルを出ると、またモワッとした空気が押し寄せ、現実に戻りました。